タックスヘブンについて

   

税金の出入りをチェックすることが、突き詰めれば政治だということを、大学生のころ友人が主張して居て、なるほどと思った記憶がある。確かに予算委員会という場所では、あらゆる問題が議論できるそうだ。政府のやっていることはすべてお金に絡んでいるかららしい。しかし、その時も少し変だぞ、政治ってそれだけかなと思ったのだが、今も同じく疑問を感じるが、何が違うのかはっきり認識できない。グローバル企業とタックスヘブンという税金という国の制度を逸脱した問題がある。グローバル企業は税に有利なところを求めて移動可能である。日本でも法人税を下げないと、企業が出てゆくから法人税を下げようとしている。選挙が終わるまではやらないようだが、終わればやるに違いない。しかし、このことは税の公平をこわしている問題である。法人であろうが個人であろうが、その存在が受ける公からの保護や利益に対して、税を負担することが憲法で決められた義務がある。それが国家を成立させる枠なのだろう。

高額所得者が所得税が高いので、国籍を変えるという人がいる。合法とはいえひどい話だ。企業がタックスヘブンを利用しているということも同様の倫理違反に間違いがない。これは義務としての、納税制度というものを破壊することになる。法律違反ではないが、倫理的に許されないことだ。そのうえで出てゆく企業も高額所得者も、倫理をないがしろにするものとして、認識出来るように公表すべきだ。そういう法人も個人も日本にかかわるべきでないと思う。国籍も一度捨てタラ戻れないようにしたらいい。このところを取りちがえて、つまり法人税の減税を行い日本の税制の方を不平等にして、高額所得者の税制優遇や、法人税の減額を主張するのはおかしなことだ。これを企業を日本に引きとめるため、日本経済のためには、仕方がないとする考え方を変えなくてはならない。倫理的におかしなことを、経済の為に仕方がないというのは、ゼニゲバの思想である。現代社会が力を失速させている一番の原因だと思う。

企業の倫理と資本の論理はどう整合性があるのだろう。資本は利潤追求を目的に動いてゆく正義がある。タックスヘブンを利用して税を安くする方法があるのに、努力しないというのは経営者としての努力不足ということになりかねない。こういうことが資本の論理というのだろう。株主というものは、企業が利益を求めて努力することを求める権利がある。何故、タックスヘブンを利用しないのだというような、要求もあり得るのだろう。法人税の減額が求められるような企業というのは、利益を出している企業であろう。大方大企業だろう。そして、大半の中小企業は法人税の問題とは別物である。日本の企業が法人税が高いために、国際競争の負担になっているとして下げる。また外国でも下げる。法人税の値下げ競争が起きているのだ。安くても、よその国の企業がタックスヘブンとして利用してもらえばもうけものだという国がある。オランダがそういう考えを歴史的に持っているようだ。

税金というものは、国民全体で国の経費を負担するものだ。これは憲法で決められている義務である。「日本国憲法 第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」その意味では、個人も法人も同じである。企業活動は公共施設によって支えられている側面も強い。日本という国を自分の国として、誇りを持ち支えてゆくという精神である。何よりも公平性が重要である。国際競争の為に、企業を優遇した方が結局は得なのだ。と考えていたら、タックスヘブンを利用して、日本の税負担をすり抜けているかもしれない。これは日本だけで解決できることではない。世界全体で話し合い、共通のルール作りが必要である。TPPに加盟するとこういうことはどうなるのだろう。加盟国は共通の法人税になるのだろうか。オランダがEU加盟していながら、よそより法人税が安いままということは、TPPでもそういうことには触れないのだろう。

昨日の自給作業:大豆畑の耕す、田んぼのコロガシ2時間 累計時間:26時間

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