ごみ処理の財政と有料化
ごみは人類を滅ぼす。ごみを減らすということは、文明社会を維持するということである。物が循環する中に、暮らしを織り込まなければならない。循環しない仕組みは、必ずそのしっぺ返しを受けることになる。一方向の消費を続けることは、この先不可能になる。この思想がごみ処理の基本理念である。小田原市の加藤市長は市長になる前には、長井市のレインボープランを評価し、上勝町のごみウエストを評価していた。人を招いて、講演会の企画までした。生ごみリサイクルには、特に熱心な人であった。2期目の市長になった今、生ごみリサイクルの目的に進まなければならない。家庭ごみの検討委員会の答申を実践すべきだ。市長の市民協働の呼びかけにこたえて、2年間の時間をかけて、ずいぶん勉強もして、本気で取り組んだ答申である。有料化につても必要と答申している。
ごみ処理の有料化は、賛否の両面から言われる。賛成意見はごみ処理経費の公平化とごみの減量。反対は税の二重取り、弱者への配慮が無い、ごみは減らない。などの意見がある。しかし、大きな流れとして、財政のひっ迫もあるから、ごみ処理の有料化は徐々に一般化してきている。45リットル袋1枚が、10円くらいから100円くらいまである。減量効果は、ごみの収集法や、産業条件、人口構成、環境条件などで大きく違う。小田原の場合どうなるかを考える。前提として、1、家庭でできる減量法として、生ごみのたい肥化の学習と普及を、まず推進しなければならない。2、分別の徹底を行い、ごみを減らせる条件を整える。3、市の収集ごみに事業系ごみの混入率が増加していることが想像される。この点を十分精査しないと、公平な有料化は不可能である。4、税の2重どりの意味からも、減量効果のある程度の価格であって、ごみ処理の原価すべての負担ということはあり得ない。5、ごみの製造者責任を厳しく迫ることを併せておこなわなくければならないことでもある。現状これは全く行われていない。6、生活弱者対策を考えること。
現在の市の財政の仕組みと姿勢であれば、ごみの減量が市の財政に直接は影響しないということは、私も理解している。財政に反映しない仕組みを、温存していることが問題なのだ。市民がごみを減らそうとする。その結果が、財政的に反映している。となっていなければ、ごみを減らそうという市民の努力がしぼんでしまう。わずかな努力を無にしているのでは、市民協働は進まない。ごみを減らしたら、財政が助かる。こういうことが見えるようにするのが行政の役割ではないか。少々減らしても関係がない。こう決めつけているのでは、努力して、手間をかけてごみを減らそうなどと誰も思わない。平気で大量のごみを焼却ごみとして出す家庭が増えるだけだ。それでは人類は滅びる。ごみ処理には大変な費用がかかっている。出さない努力が報われる仕組みを作ることではないか。これが行政の役割である。
第2ステージである。ごみが減れば、財政的にプラスになる。こういうモデル地区を作る。ごみ収集週一回地区を作る。輸送業者と話し合い、コストの削減をする。削減された費用は、その地区の自治会費の一部にする。地域によっては、ごみの持ち込みを可能にする。韮崎市では、スーパーの前に生ごみの持ち込み場所がある。生ごみを持ち込めば、スーパーのポイントがたまる。そのスーパーは環境貢献企業で、売り上げが伸びたそうだ。やる気になれば、やれることはある。加藤市長はこうした取り組みを頭では理解しているはずだ。ところが、市長になってからは、尻込みしている。現実の重さが分からないわけではない。しかし、生ごみプロジェクトは、小田原でも可能な、市長の主張のやわらかな形の実現だと考えていた。すべての生ごみのたい肥化の突破口だと考えている。