林業のこと
日本の国土は森林地域が一番広い。国土の3分の2が森林である。人工林と自然林はほぼ半々である。そして、林業の困難さは農業以上だろうと想像する。その結果木材の自給率は26,6%で農産物以下である。林業のことを考えてみると、日本という国の向かわなければならない方角が見えてくる。森林の環境貢献度は極めて大きく、年間100兆円とか言われる。山には無尽蔵と言うほどの恩恵がある。それを支えるのが林業である。林業と言えば、イメージとして熱帯雨林を切り出して先進国が利用するということになる。しかし、実際には先進国の方が輸出国である。日本の輸入先も、大半は機械化された林業国からの輸入である。そして、国内でも機械化されるた林業が一部で進んでいる。ところが、機械化で世界の林業と対抗するためには、日本の急峻な地形は大きな障害になる。平地の林業と、価格的に対抗しようとすれば、輸送費を加えても輸入材が安い。国債競争力の言葉が空しい。
それでも国内でも機械化は少しづつ進んでいる。製材所などは極めて大きなものが作られコストダウンがはかられている。一方で地域に根差した、地域の製材所は競争力をさらに失い、閉鎖するところが多くなっている。久野の最後の林業家も廃業した。つまり林業としての集積を達し、産地化できたところは、国内の競争ではいくらかの勝利をしながら、生き残ってゆく。しかし、日本全体で考えれば、中小の昔からの林業はより競争力を失い、放棄される人工林がますます増加している。農業とは違い、目立った放棄になるわけではないが、放棄の状態の自然破壊は農業以上である。戦後造林によって植林の進んだ、日本の森林は過去最大の蓄積を生んでいるといわれている。つまり、みる視点を変えれば、故郷の森林は宝の山なのである。何故放棄されているかと言えば、林業を支える人がいないということである。限界集落と呼ばれ、村が消えてゆく状態。
農業者の多くも農閑期には林業にかかわっていた。日本の山村は総合的に成り立っていた。多様に重層する暮らしの形を日本の山深い環境条件が生んだ、自然に溶け込んだ暮らしの形を生みだしていた。地域で循環する形が作り出されていた。ところが、国際競争力を正義とする経済の仕組みが、地域では成り立つ産業でも、世界で通用しなければ競争力のない産業ということになる。工業的な生産品の発想が、自然条件と密着した林業の世界にまで及んだ。つまり、日本を支える、工業製品の輸出のためには、林業は犠牲になっても仕方がないということだろう。その結果林業はいち早く衰退した。それは農業分野と違い、関税が無いからである。圧力団体となる農協のような存在が無かったからそうなったのだろう。つまり、このままでは、林業はなくなる。小田原の山林は、林業として存在している状態ではない。経済とは別の形で存在している。そして、このままでは農業も同じ道を歩むのだろう。
山村の過疎化、高齢化である。林業に耐えうる人材が失われたのだ。私の育った境川村も林業者はたくさんいた。林業者家族は専業というより、山村で行われる経済活動すべてにかかわっていた。猟師でもあり、農業者でもあり、生活品の生産者でもあった。地域が成り立つ条件を整えることのほうが、国際競争力よりも火急の要件である。商品としての価格が資本主義経済では優先されるとするなら、環境条件を経済の要件に加える必要がある。国際競争は例えば、中国のように国土を破壊しながら競争してくる。競争のために、危険な原子力発電もやむえないということになる。汚染しながら、環境を破壊しながら、競争力を高めようとする。環境維持作用を林業の価格反映すべきだ。山が豊かになれば、水が良くなる。これを木材価格に反映する仕組みを作る必要がある。
昨日の自給作業:田んぼつくり1時間 苗土作り 累計時間:9時間