協働の模索

   

田んぼの作業は水と言う事を通して、否が応でも協働の意味を考えさせてくれる。稲作を暮らしの基本に据えた日本人は、2000年以上の水土の暮らしを通して、協働の重みに苦しみ、協働の有難さを味わいながら生きてきた。協働は負担もある。やらないで済めば清々とする。協働することで、安心して暮らすことが出来るということでもある。意分の行動を見張られているような、人の目がいつも付いて回る土地で生きるということは、人間にはつらいものである。あちこちを転々として生きてきた私のような人間には、その気持ちは今でも実感としてある。いやになったらいつでもどこにでも行けば良いと言うところがある。助けるということと、助けられるということが、ご先祖からつながっている。避けられるなら避けたいものである。しかし水は繋がっている。上の田んぼとつながっているだけでなく、山とも、海ともつながっている。

田んぼを通した協働する暮らしへの意識は日本では失われた。失われるべくして失われた。私の知る小田原には今は残っていない。残っているとすれば、限界集落と呼ばれる消え去ろうとしている、山村の老齢者の間にわずかに残るだけだろう。瑞穂の国、美しい国の再生は、田んぼの協働作業と言う気の重い事を、経済社会の中でどのように確立するかにかかっている。出来ることなのだろうか。企業の基本精神は、経団連の会長が先日述べたように、企業の存立がすべての大前提で、日本のことはその次のことなのである。企業が栄えてこそ日本が良く成る。こういう価値観である。企業の利益、資本の利益のためを、日本国の利益に優先すると述べている。松下幸之助氏は他者の利益が、自分にまわってくるといわれていた。国栄えてこそ企業の栄えもあるという価値観も存在しうる。協働は重荷である。重荷ではあるが、これを背負わない限り公共というものは存在できない。

加藤市長の一年目は盛んに市民参加の方式を探った。今はそんなことがあったのかというほど静かである。新人候補者が旧勢力に対抗する時には、市民の側に立ち主張はする。そして当選して2期目にもなると、旧勢力のような顔になる。そして市民参加の市政が有名無実のものになる。自分が批判勢力の間は、市民参加と誰でもが主張する。何故、権力は市民と対立するのか。権力者は有力者に取り囲まれることになる。いつの間にか、特別な存在になり、市民の一人であることは忘れる。その空気が市長の手紙の返信に漂っている。現代社会においては、協働というものが、お金に置き換えられている。協働が計算される。協働が監督される。労働は対価を求める。生きるということの幸せは、祖先に見守られ、祖先の日本的価値観に沿って生きるということであった、資本主義的な発展とか、拡大とかを善とする思想によって、この安心立命が失われたのだろう。

最もの悪は美しくないことである。故郷を汚すことである。ただ、美しく生きて死ぬことの喜び。満足感。協働とは立身出世主義の対極にある生き方のことではないだろうか。人のため、地域のため、それが自分の充実につながるという気持ちになれるかどうか。こういうことを日本人は田んぼから学んだのだと思う。生活がかかった田んぼという作業で、切実に協働せざる得なかった。水の問題で村八分になるというようなことは珍しいことでない。殺人事件まで起こる。そういうギリギリのところで、協働の在り方を探ってきた日本人。これが失われた利潤の論理の社会で、どうやって日々の暮らしと協働を結び付けることが出来るかである。この段階でも協働の呼びかけに答えて、頑張っている人たちもいる。申し訳ないが、私は限界を超えた。小田原での協働の模索は、どうなるのだろう。

昨日の自給作業:アラオコシ、耕運 3時間 苗床代かき5時間 累計時間:8時間

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