ノロウイルスの流行

   

ノロウイルスの集団感染が報道されている。毎日聞いていると、大流行でもしているような気になる。報道というのは、興味を引けばやたら重箱の隅までつつき回すから、本当のところはどうなのだろう。国立感染症研究所によると、昨年12月時点で過去10年間で2番目と出ている。月変化の図を見ると12月は徐々に収まっているようにも見える。ノロウイルスは変異しているのだ。防げば防ぐほど、変異して猛威をふるう。薬で病原菌と対抗しようとする仕組みの限界を表しているのではないだろうか。ノロウイルスに効果のある、ワクチンが開発されたと言う。それはそれで素晴らしいことだと思う。しかし、こうした防御方法を強化すればするほど、人間がワクチンなしには生きられない動物になりそうである。ワクチンが危険なものだと主張するつもりはない。ワクチンで作る免疫の限界を押さえておく必要がある。ワクチンによる免疫と、自然免疫では仕組みが異なる。

鶏では鳥インフルエンザの流行が危機的に言われた。そして、世界では1、鳥インフルエンザに対応しない国。2、不完全と言われるワクチンを使用した国。3、日本のようにワクチンを使用せず、消毒で対応しようとした国。この3通りの対応をした。結果はどうだろう。全く対応の優劣は言えない状況である。野鳥というものが無数に存在するのが自然界である。野鳥には何の対応も行う事が出来ない。国境もない。養鶏場や動物園を幾ら消毒した所で、自然のすべてを消毒することなど不可能である。一時不忍池の渡り鳥までどうにかしろと言われていた。不可能どころかやれば生態系がおかしく成る。鳥インフルエンザ自体が、変異し強毒化した。この原因の一つは、養鶏場にあると考えている。1万羽もの鶏を1か所に飼育すると言う事は、鶏の生き物の生態として異常なことだ。そこで鶏を効率よく、機械のように合理的に飼育しようとすれば、外界との遮断、消毒への偏向、飼料への合成化学物質の添加。自然界にはない特殊な状況が生まれる。

そうした所から、抗生物質耐性菌が生まれたことは有名なことだが、ウイルスの変異も引き起こす可能性が高いと言える。1羽が感染したとする。何千羽の感染の連鎖が起こる。感染を繰り返しているうちに、ウイルスが変異し強毒化する可能性がある。自然界であれば、感染し衰弱したものは淘汰される。乗り越えた種はそうした種として生き残る。しかし、人工的な環境では、感染を見逃す事や、隠ぺいされる可能性がある。実際にそうした事例はいくらでもあった。大規模養鶏が世界中に広がった。国によっては生産性だけを追い求め、農家の請負のような制度のもと、衛生観念の欠如と環境の劣悪な場合も多々ある。一度強毒化したウイルスが収まるためには、自然界の吸収能力を待つしかない。すべての鳥類にワクチンを打つようなことが出来ない以上、成り行きに従うしかない。自然界では何千万年もかけて、そう言う仕組みが出来上がったのだと思う。問題は人間では淘汰の論理という訳にはいかない点である。

このまま行けば人間は病原菌や、ウイルスにさらに弱く成るだろう。どんどん弱く成って最後には、完全防備をしなければ、室外に出られなくなるだろう。その時にどういう国の人が丈夫かと言えば、消毒をしなかった国の人々ではないか。何度も病気の大流行で悲惨なことは起こるだろうが、むしろそう言う事が起こるような国の人の方が、健康的な人類として生き残ることにならないか。ワクチンが完成して、ノロウイルスを克服したからと言って、少しも安心はできない。ウイルスの変異はインフルエンザでもわかるように、毎年変わる。変わって対応が出来ているうちはいいが、この速度の競争は、人間が追い越される可能性が高い。免疫の仕組みをもっと研究すべきだ。ワクチンで作られる免疫は、不完全なものだ。免疫については素人なりに勉強をしている。正月にも2冊免疫の本を買って読んだ。学者によって意見が異なる。免疫と微生物の学問は哲学である点が興味深い。

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