生ごみリサイクルフォーラム
生ごみリサイクルフォーラムに出掛けた。江戸東京博物館という所の会議室で開かれた。そこには友人の絵を描く人が勤めていた。今でもいるのかは知らないが、金沢以来の友人で布目さんという。この人の絵が、江戸の長屋で描いたような絵だったので、長屋のような所に努めていると思い込んでいた。時々テレビで放映される、江戸東京博物館の映像が江戸の町の再現という長屋だったこともある。所が初めて行ってみて驚いた。両国の駅に隣接して国技館があり、その隣である。国技館を威圧するように、設計のおかしな建物である。江戸というイメージをぶっ壊すために作ったような、奇妙奇天烈な建造物である。会議室というのが一階にあって、そこを3部屋使って開催されていた。70人の参加ということだった。
私の目当ては、児玉徹東京大学名誉教授の「微生物の話」の講演である。1時間余りの話であった。微生物学の入門をお願いしたようで、もったいな気がした。主催者の微生物に対する理解が不足していて、どうも講演の依頼趣旨が曖昧だったようだ。高校の先生が教室で話す一般論で、かなりの時間を使ってしまった。生ごみをたい肥にする微生物について、先生の御考えを話してもらうべきだ。それが生ごみフォーラムの趣旨と思うのだが。発酵の話を色々な先生に伺うのだが、段ボールコンポストと繋がるものは少ない。児玉先生に来ていただきながら、一般論ではもったいないということである。それでも先生の話の中には、興味深いことは山ほどあった。「人の細胞の数より、人の中に居る微生物の数の方が多い。」人間には100兆個の微生物が取りついている。待てよ、人間の細胞数は60兆説のようだ。数えた訳でないからな。微生物も数えた訳ではなかろう。
まあすごい数の微生物が取りついて人間というものが出来上がっているイメージは素晴らしい。この微生物を安易に抗生物質を飲んで殺してはいけないと、先生は3回言われていた。「微生物は多様に総合的に働いているものである。」単一の有用微生物を利用する、という考えは20世紀特に西欧の応用微生物の考えであったが、21世紀は群として、遷移する微生物を見て行く必要がある。これは清酒醸造の話だが、生ごみコンポストも同じではなかろうか。有機物に対しては、光合成と還元があり、生ごみはCO2とH2Oになる。燃やすのもこの点では全く同じ。何故、生ごみの堆肥化はCO2の削減になるという間違ったことを言う人がいるのだろう。1、有機廃棄物の分解は、人類が出現する前からあった。2、省エネルギー的である。必要に応じて、反応触媒(酵素)が生成し、分解を行う。3、ローカルで小規模な反応に適している。処理はオンサイト発生源で行われる必要がある。
後半のフォーラムでは、第2分科会で小田原市の環境政策課の石井さんから、小田原の取り組みについて発表があった。さすが落ち着かれていて、分かりやすく話されていた。充分小田原の魅力も語られていた。このフォーラムは各地での生ごみの取り組みが紹介されていた。カラットという生ごみ乾燥バケツの紹介もあった。乾かして燃やすという事のようだ。リサイクルとは違うが、焼却炉の経費と寿命の話。生ごみは資源であるということは忘れてはならない。一つ気付いたのは、各地の活動には基材配布の補助がないと言われていたが、活動自体にかなりの金額が出ている。小田原の生ごみクラブには、補助はない。補助がないからここまで広がったということに気付いた。生ごみリサイクルでは小田原の活動が、注目をされていることは確かだ。小田原の活動が今後どうなるかは、今や小田原だけの問題ではなく成っている。ごみの回収有料化。週一回の回収にすべき。こういう事も話が出た。