放射能の除染作業
朝日新聞では除染作業が、杜撰に行われている状況を報道している。環境省では調査し、監視すると発表した。確かに、放射能除染すると言いながら、ただ川に流しているのであれば、とんでもない話である。しかし、私もどちらかと言えば、除染に働く現場の作業員の意識に居る。お茶畑の刈り払った枝葉は、畑の隅に置いてあるだけである。あれは500ベクレル以上だから、除染すべき残骸である。当初からどうすればいいのかという話はさんざん出ていた。冗談のように、東電に送りつけようと言う人もいた。福島第一から発生したのだから、発生地に返すというのが原則だと力説する人もいた。結局農協の指示のとおり、畑の隅に置いておくと言う事になった。その結果はどうなったかと言えば、堆肥化して20分の1くらいの大きさになった。あの5トン車にやっと乗るほどあったものが、1年半でケイトラに乗るぐらいまで小さく成った。小さくはなったが、放射能はどうなったか、20倍に濃縮されたという事ではないか。
500ベクレル以上あった枝葉が、20倍の1万ベクレルを大分越えている可能性がある。こういう不安があった。畑の隅にそんな高濃度の汚染物質があること自体そもそもまずいだろう。1トンはあるのだから、中間貯蔵施設に持ってゆくべき廃棄物だ。下水汚泥と同じではないか。そこで測定をすることにした。何と、値は下がっていたのである。来年になればたい肥として使えるんじゃないの。という位の状態である。要するに雨で上部の方の堆肥から流れてしまったのである。堆肥場には屋根が無ければだめだと言う事が良く分かる。どんどん流出する。放射能も大半流れ去ったのである。堆肥の下の土壌を測定すれば、高いのではないかと思われる。土壌から地下水へ、そして河川へも流れ出ているのだろう。結局は水に流すということではないか、海に行き沈澱しているのか、浮遊しているのか、太平洋のもずくとなったのか。放射能対策は、すでに人間の手に負えることではない。
私には、川に流した除染作業の担当者を怒る気になれないし、又その資格がない。文句のある人はその作業をやってみればいい。写真を見ると、足場の悪い川べりで足で落ち葉を川の中へ蹴っている様子である。そのようなことは、雨風では日々ありうることだ。在ってはならないと、怒り心頭の知事や、市長の談話が出ているが実情を分かっていない。否、分かっていながら、怒るそぶりをしているのではないか。そもそも除染などできない仕事なのだ。福島県の面積は13,782平方キロ。この広大な土地の、表土5センチを取り去りどこかへ運ぶなど出来る訳がない。できるとしても、その500分の1位をその場の地中に埋め戻す作業がせいぜいである。忽ち、周囲から放射能は戻ってくる。空しい作業に多くの人が費やされているのではないだろうか。空しい作業を延々としていると、少々のことは、どうでもいい気分になるのではないか。
除染は大企業の希望に沿った、公共事業である。有効な除染が出来るなら意欲もわく。かなりの部分で無意味な作業ではないか。確かに、一番上のお茶畑の人はまだいい。下の畑、下の田んぼへと放射能は移動するだけである。取り去ると言っても500分の1くらいやったのでは、すぐ雨やら風で戻ってしまう。除染作業には多くの大津波で、被災された人たちが当たっていると聞く。除染よりも、もう少し前向きな作業をやってもらうべきだろう。一般住民の年間被ばく線量の上限1ミリシーベルトとするには、時間を待つ以外にない。どれだけ待てばいいかは分からないが、そうして海に流れてしまうのを待つ以外にない。最悪のことだが、アメリカやソビエトは、さんざん核実験でやってきたことだ。どうしようもないことは諦めるしかない。畑の土壌を汚されたことは、諦めきれないから苦しいが、どうしようもないことを悩んでいれば、自分がやられてしまう。