原発新設再開
安倍総理大臣の中の軍国主義的傾向をとても危惧していたのだが、総理大臣になってみると、やはりこの人は力の政治思想の人だと言う所が見え隠れする。よほど心していないと日本は大変なことになりそうだ。原発の新設を発言した。予測の通りなので、この事は驚きはしない。驚くのは、すぐさま軌道修正したことだ。本音は力の政治を目指しながら、参議院選挙後だと我慢している。既に本性を、現して来たと見るしかない。こうして総理大臣が明確に原発推進を発言するということは、再生可能エネルギーに力が入ることもないだろう。せいぜい既成大企業の後押しぐらいで行くと言う事のようだ。 これでも選挙民が自民党が良いというのであるのだから、仕方がない。私が希望した未来党は選挙に負けて消えてしまった。日本を諦める訳には行かない。こうした状況では政治に期待はできないと言わざる得ない。安倍氏の耳には原発はもう嫌だという声など、全く届いていない。
安倍氏の頭の中では40年前の原発と、現在の原発では安全性において随分違うものと言う理解があるらしい。これは原発技術に対する認識不足である。原子炉は実験段階から、現在に至るまで安全性の確立には進歩は少ない。そもそも原発というものの仕組みが、安全性を高めるには、壁を厚くするとか、原子炉の強度を増す位しか改善ができない。津波対策とか、地震対策とかすべては、外部的な補強である。核分裂そのものの仕組みを、安全に変えると言うようなことはできない。放射能は永遠とも言える半減期を待つ以外、無害化できない。使用積み核燃料が行き場がなく、原子炉建屋の上部にプールを作り、貯め込んである。40年前より安全性は後退している。これが原発の現状である。安全性を高めるに、核廃棄物の安全管理が出来てから、次のことは考えるのが、福島の大事故後の普通の考え方だ。
安倍氏の中にある日本の向かうべき姿は、北朝鮮の言う「強盛大国」とよく似ている。北朝鮮も原子力発電に熱心だ。軍事力の増強も熱心に行う。軍事施設の建造も力が入るに違いない。既に予算の増額が言われている。オスプレーを自衛隊が装備するという話も出ている。自民党が選挙で選ばれるということは、そう言うことだろう。安倍氏がそうそうに、原発推進を発言したということは、国民の本音はこちらにあるという判断がある。原発を曖昧にして置いて、参議院選挙を迎えるより、再開を明言した方が良いと考えたのだ。ところが、参議院選挙が終わるまでは我慢です。殿。というような声が入ったにすぎない。しかし発言を聞いていると、日に日に強盛大国の本性が顔を出す。集団的自衛権は当然のことのように言われ始めた。自由にやって良いことになれば、核武装したいと考えている人と見なければならない。プルトニューム生産は間違っても止めないだろう。
原子力を民間企業の仕事だと、主張する人がいるが、今回の安倍氏の発言で分かるように、原子力は国策事業である。政府の考え次第で推進か廃止かが、動かされている。常に莫大な税金が注ぎ込まれる。安倍氏は安全神話を復活させて、福島第一の事故に至った道を、もう一度たどろうとしている。既に40年前より安全になったなど、どういう根拠の安全神話を述べているのだろうか。このようになった一番の原因は、反原発勢力の分裂である。互いの問題点をあげつらい、当たって砕けろどころか、当たる前にまとまることが出来ないでいる。今回の選挙で明らかになったのは、30%の得票があれば、政権を取れると言うことである。そう言う選挙制度なのだ。反自民の政党が、反原子力発電の政党が、この国の危機を認識してまとまることである。政治家、政党のレベルがあまりにひどすぎて、政治を見ないようにしたい気分ではあるが、まだまだチャンスはある。