年賀状を描く

   

年賀状を書き始めて、3週間ほどである。やっと絵の方は出来上がった。300枚くらい書いている。230枚くらいが使えるかどうか。絵は水彩画で描いている。絵を描きたいというわずかな火種のような気持ちを年賀状の絵にしている。絵を描く心のリハビリテーションだと思っている。絵を描く心が、しおれて自信喪失状態である。どこへ行ったのかさ迷っている。絵を描くと言う事に、自慢したいとか、自己顕示欲とか、名誉欲とか、そう言うものが含まれていたのかもしれない。自分ではそう言う事と絵を描くと言うことは一番離れたもので無ければと考えてきた。ところが、捨てても捨てても、残っている残渣のようなものがある。諦めるとは明らかにすると言う事だという事が良く分かる。絵を描くと言う事が徐々に見えて来ると、自分の内なるしっくりこない、おかしなものが不満げである。人間は厭なものだ。

子供の頃からだから、50回以上年賀状を作ったことに成る。小学生の頃は、干支をテーマにして木版を彫っていた。すぐ父が横取りをして彫りだした。父はとても器用な作品を作る人だった。本当の木版作家のようで、上手すぎた。上手いだけだからだめだと父は言いながら作った。私の中には上手いという要素はないので、不思議に思う。叔父の草家人はさらに器用な人だった。祖父は細密画を書いたらしいから、さらに器用な人だったらしい。木版で作るのは、中学、高校の頃もやっていた。大学生の頃は、記憶が途切れているが、止めていた時期があるかもしれない。販売中止になったプリントごっこでやったのも長い。シルクスクリーンのような作品まで、凝って作ったことが何とも懐かしい。ここ十数年は、水彩で描く。それが一番手っ取り早いし、自分らしいものが出来る気がする。デッサンだけ、プリンターで入れることもあったが、どうも、作業のようで気分が悪いので、図柄はその場で思いつくものにして、全部異なる絵になる。

やる気で継続してきたのは、年賀状だけでも連絡をとりたいからだ。すごく親しいつもりなのだが、全く年賀状だけで、一年音信の無い人が沢山いる。年賀状を書くとき、今年も会えなかったと思う人がばかりだ。それでも、年賀状だけは出せる。それだけの付き合いではあるが、気持ちの中では、色々の濃淡する気持ちがある。書く前には一言位は言葉も添えようかと思うのだが、大抵は絵だけに成る。そして住所はパソコンで入れる。手描きと思うのだが、それだと管理が出来ない。基本は去年頂いた人には出す。去年頂いた人は、パソコンを見ればわかる。問題は、喪中である。これで分からなくなることがある。私も喪中はがきを出した後、大分途絶えた。また、何か事情があって、来た人にだけ返信したらこともある。向こうからは来ないが、出している人もいる。そう言う事がパソコンがあるので、10年分のデーターが残っている。

文章も付ける。文章が無いと近況報告が出来ない。昨年、打ちのめされた近況報告をして、どこか悪いのかと心配の電話が来た。有難いことである。今年はカラ元気でも元気な角度から書いて置きたい。まだ考えてはいない。人に心配を掛けるのも良くない。もしどんな年賀状なのだろうと興味を持たれた方がいれば、年賀状を頂けば、必ず返信をするので、興味があれば出してみてもらえば分かる。ダイレクトメールまで返事を書いていた年もある。ちょっと変なのである。年賀状は私の年一回の勝手なダイレクトメールなのだろう。普段こんなことを屋えば、ストーカーかもしれない。勝手な存在証明が許されると言う事が、年賀状の有難い習慣である。私のやることは突飛になりがちだが、まだしばらくは続けられそうである。

 - 水彩画