手ぬぐいとタオル

   

子供の頃は手ぬぐいしかなかった。タオルというものは外国から来た贅沢なもので、普通の場面で使うようなことはないと、思い込んでいた。少しづつ山梨の山村でも使うように変わったのは、昭和30年代に入ってからのことである。母親は田舎育ちゆえに都会風が好きだったというか、子供にタオルを使わせたがった気がする。おじいさんやおばあさんは当然、手ぬぐい派である。タオルなど、「ダッチョモナイコンジャン」抵抗感があった。昭和40年には一気にタオル派が勝利をおさめ、手ぬぐいを使うのは偏屈な年寄りの、意固地のように見えるようになった。当然バスタオルなど見たことも無かった。あれは、アメリカのホームドラマの贅沢蔓延作戦に乗せられたものではないか。身体を拭く位であんなに毛布のようなものが必要なものか。あの頃から、もったいないとか、節約は美徳、というようなことは戦時中の悪夢であり、消費こそ美徳という風潮である。

何故こんなことを思い出したかと言えば、南足柄の日帰り温泉のおんりー湯に行くと、バスタオルとフェースタオルと、館内衣を貸し出してくれるからである。5年前始まった時からそうなのだが、館内ではこれを着て下さい。と強制的に着替えさせられた。ある時風呂に入るだけだから、服は脱ぐだけなので、もったいないので館内衣は免除してくれとお願いし許可してもらった。最近では結構いらないという人もいる。私が使わないで返却しても、洗濯はしなくてはならない。これは余りにもったいないではないか。しばらくして、バスタオルもいらないので、フェースタオルが2枚が良いとお願いをした。今でもそうしているのだが、一人だけこれを許してくれないおばさんがいる。3回その人と押し問答したが、決まりだからと言ってバスタオルを押しつける。もう諦めてその人が受け付けにいたら、そのまま受け取る。悪法も法なり。その人が悪い訳ではない。

バスタオルなど大嫌いだ。身体を1回拭く位であんなに大きなものを洗濯しなければならないと思うと許せない。本来手ぬぐい1本で身体は拭ける。日本人は歴史的にそうやって拭いてきた。最近では実用的に手ぬぐいを使う人は殆どいないだろう。今思えばお爺さんが手ぬぐいで身体を拭く方が気持ちが良いと、うそぶいていた事が懐かしい。手ぬぐいを帽子のように頭に巻いて農作業をする若い人が結構いる。昔なら、腰にぶら下げるか、首に巻く。口に隅を噛んだ粋なお姉さんや、鉢巻きにしたいなせな兄さんもいる。タオルでは厚ぼったくて、格好が悪くこうはいかない。タオル地は繊維がループ状に成っている。多分こういう織り方はとても難しかったのだろう。織物が自分の家で行われていた時代には考えられないものだ。家で作れる手ぬぐいが当たり前で、ものを買うと言う事を極力避けていたので、タオルは贅沢品の感じがしたのだろう。私などはタオルなど、戦後のものだとづ―と思っていた。どうも関西では違うようだ。

手ぬぐいの布には、タオル地にはまねのできない染色的魅力がある。私の家でも暮れに成ると、毎年、お月さまカレンダーを買いに行く。もう満月だなという確認に部屋に張り出してある。そう、今月は28日が満月である。レインボーカラーの平和の手ぬぐいというのは、あっても良いと思うのだが。何かと使えそうだ。今やタオルの方が、手ぬぐいより安い。手ぬぐいは1000円するが、タオルは100円でも買える。たぶん100円の手ぬぐいでは、却って売れないのだろう。今治のタオルなら、1000円はするのだろう。私が使うような安い100円タオルは多分、中国かベトナムでの製造だろう。あっという間に、手ぬぐいとタオルは立場を逆転した。随分の変化である。これは物のことだからまだいいが、こういう変化がすべてに及んでいる気がする。

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