森本防衛大臣の原発核抑止論

   

森本敏防衛相が就任前の今年一月、電力関係の講演会で日本の原発維持を主張し「単にエネルギーの問題だけではない」「周りの国から見て非常に大事な抑止的機能を果たしている」と発言していたことが五日分かった。原発の維持が周辺国に核兵器開発の潜在的能力を意識させ、それが日本の国防上のメリットにつながるとの考えだ。 

こういう意見が以前から流布されているが、右翼系政治家が述べる真っ赤なウソである。森本氏は専門家という触れ込みであったので、こんなレベルの国防分析なのかと、驚き失望した。日本には本当の意味での国防論が成立していない。軍事専門の学者の中でも、目立っていた森本氏がこういう印象論を述べているレベルだったのだ。素人の私ですらすぐわかる位おかしなことだ。2つある。仮想敵国側から日本を見た時に、原発が核廃棄物を抱えて、何十基も存在することは日本の防衛上の弱点だ。もう一つは、核武装するとすれば、もう十二分のプルトニュームが日本には存在する事実。イランや北朝鮮のように、隠れてやらないでも堂々とすでに備蓄している。核爆弾などいくらでも作れる量のプルトニュームが処理に困って宙に浮いている。本来なら、IAEAに余分の量のプルトニュームの保管をしないと約束しながら、実態としては国内にも10トンを超える量がある。

結論としては、すべての原子炉を廃棄することが、当面のリスク低減と言う意味であるが、国防上正しい選択であることは、明らかなことだ。アメリカにでもプルトニュームを取り上げられると言う時には、この論議再度登場するだろう。現状では、いつでも原爆を作れる国の資格はイランや北朝鮮より兼ね備えている。アメリカだってそれは困るから、核の傘で守ってやるから自分ではやるなと言っているのだろう。次に原発が存在する国防上のリスクである。日本を壊滅するためには原発めがけて、ミサイルを撃ち込むと考えるのが、攻撃側の論理。国内のテロ組織、あるいはスパイ組織だって、原発を狙う。どれほど危険なものかは、福島原発で十分経験したではないか。原発が存在することは、国防上極めて弱みの部分となっている。こんなことは常識のはずだ。本当のところは、津波や大震災以上にテロリストのリスクは高い。

周りの国が、もし森本氏が想像するような考えを表明しているなら、それこそ、日本の弱点を温存しておきたいからではないか。戦争が起きたとしてもさすがに、原発を攻撃するようなことはしないだろう。こんな甘い考えは例の想定外で、国防は最悪を想定して立てる。北朝鮮が中距離ミサイルを保持した段階で、もう軍事的なバランスでの国防は考えられなくなっている。どれほど、自衛隊を強化しようとも無意味化している。戦争状態になってしまえばアメリカと北朝鮮でもさしたる違いはない。国防は軍事力の強化では、考えられなくなっている事実に目を開くべきだ。世界全体の国防論が、発想の転換が必要な状況に突入している。日本は国防についても、実は経済優先なのだ。経済の為に国防を考えている範囲。アメリカとの同盟関係から、兵器の輸入が必要なのだ。

武器が簡単に人類を滅ぼすほどに到った状況では、防衛論も発想の転換が必要である。つまり、軍事的には、どれほど強化した所で無意味化している。その為に、武器に頼らない平和への道を考える必要が迫っている。軍備による防衛が難しいのと同じで、平和的手法は絶対的効果ないだろう。災害救助の国日本の確立。世界に感謝される国になれば、日本の平和はある程度確保される。温暖化現象が進むにつれて、自然災害はこれまでより多くなるだろう。その際、日本の災害援助隊は、どこの国であれ災害支援に駆けつける。あんしん平和の中立国になることである。まさか、そう言う国を攻撃するなど許されないだろう、と言得るほどの国になる。世界から感謝される国になることで、平和を維持する。素晴らしいことだと思う。それが簡単ではないし、頼りないものかもしれないが、武力による平和よりは、安全度が高いと考える。

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