原発廃止の方向
関電管内では今夏、8月3日に2682万キロ・ワットの最大需要を記録し、供給力(2992万キロ・ワット)の余力を示す予備率は11・6%だった。大飯原発3、4号機による供給力増237万キロ・ワットがない場合は2・7%と、安定供給に最低限必要な予備率である3%を割り込んでいた。
民主党エネルギー・環境調査会がまとめた政府への提言案が4日、明らかになった。「原発ゼロ社会を目指す」と目標を明記し、原発の新増設をせず、運転期間を40年に限る規制を厳格に適用するなどして原発ゼロを「可能な限り早期に実現すべきだ」とした。
選挙が近づけばどの党も、反原発らしき文言を連ねると想像される。暑かった夏だが、何とか電力不足もなく過ごす事が出来た。一番不足すると言われた、関西電力圏内も、原発を再稼働しなくとも、2.7%の余力があったともいえる。政府の判断と主張は間違っていた。再稼働しなければ、人が死ぬとまで主張した野田氏の脅迫的ともいえる意見に反省はないものだろうか。経産省は相変わらず、「原発再稼働しなければ電気が足りなかった。」という、根拠のない主張をしている。安全率まで勘案した数字で、0,3%が足りなかったという事で、この程度は周辺から融通をすれば済むことであった。こうした利用者を愚弄する強弁を繰り返す所に、原発を取り巻く当たり前ではない世界が、いまだに存在する気配がある。既得権と言うか、現状を守る勢力と言うか、変わりたくないという人達と、それを取り巻く行政や官僚群。原発依存で成立してしまった地域の不幸。確かに、無理やり説得されて立地を認めた人達は悲しい。
一度原発で出来上がった地域を解体再生することは、困難に満ちている。その地域は過疎地域である。それもその地域が選択してしまった間違った選択である。当面は廃炉に向けての仕事がある。さらに、核廃棄物の管理と言う事もある。核廃棄物の地下施設であれば、原発よりは安全であろう。この費用が地域に落ちる間に、将来の地域の方向性を見出す事ではないだろうか。都市が電力消費者で、地方をその被害者という図式で考える意見もある。しかし、それは違う。事故が起きた現状でも立地自治体は原発依存を続けたいとする地域が多い。日本と言う自然災害の多発する地域でありながら、事故は2度とないと言う信仰は哀れである。原発を推進した政策が間違いであった。その間違った政策に乗せられた、地方行政にも責任は存在する。今後、原発推進地域と、反原発の世論動向とは、対立が起こる。結果原発の補助金は廃止される。補助金が無くても、原発を推進したいと言うような地域はあるとは思えない。
今や、原発推進を主張するのは、自民党と公明党位である。民主党は選挙になれば、脱原発ぐらいは言うだろう。例のごとく、信頼できないマニュフェストであるが。国民の意見を集約し結果、明確な脱原発となった以上、選択の余地が無い。自然エネルギーへの転換には50兆円かかる。脅しているつもりだろうが、大した金額ではない。原子力では全くの無駄だった六ヶ所村再処理工場だけでも、11兆円かけて、廃炉にどれだけかかるか想像もできない。核廃棄物の処分費用となれば、未来永劫かかる訳で、50兆円では到底済まない。未来の希望に繋がる、50兆円の投資はむしろ喜ぶべきものである。それが日本の産業になる可能性も高い。電力業界では原発を止めた場合の、悪影響を民主党議員に指導しているそうだ。指導だけならいいのだけれど。
自民党のエネルギー政策は、何を主張しているのか意味不明である。分かりにくいように書いているのだろう。これがこの党の情けない所だ。推進なら推進と書いた方が増しである。いつでも推進に変われるように、選挙が終われば推進に衣替えできるような七色の文案にしている。相変わらずの自民党である。公明党に到っては主張ではまるで脱原発である。大飯原発の拙速な稼働まで反対と書いている。にもかかわらず、現実の動きは原発稼働推進である。政治の信頼等程遠い。コウモリ党と言われるゆえんである。選挙前は理想論。選挙後はご都合主義。両党は何も変わらない。今回の反原発だけは、動き出している。間違いなく票に現われる。どれだけ経済のマイナスで脅そうが、電気代が倍になるなど、又虚偽で脅そうとしているが、反原発の方向だけは変わらないだろう。後はどの党が原発を無くすことに、リアルであるかと言う選択になる。