加賀山中温泉

   

山中温泉に行ってきた。2年に一回開かれる大学の美術部の同窓会である。卒業して、40年以上たつのだが、楽しみな機会になっている。今回も「ササムラ、もう絵だけ描いていても良いんじゃないか。」こう言われたことが、ず―うと頭に残っている。こんなことを本気で言ってくれるのは大学時代の友達だけだ。山中温泉は金沢から見れば、福井との県境にある。何かがあるという所ではないが、伝統的な温泉場として賑わっている。河鹿荘ロイヤルホテルという所に泊まった。参加したOさんが何か20人分の券を提供してくれたそうだ。そのおかげで安く宴会が出来た訳だ。有難いことだった。宴会の料理はとても美味しかった。特別豪華という事ではないが、味がとても良かった。いつも思うのだが、金沢に行くと、魚が新鮮でおいしい。小田原も新鮮な魚が無い訳ではないが、日本海の魚の方が、どうも美味しい気がしてしまう。そう言う素材を生かした料理という事もあるのだろう。

泊りがけだから、1時まで飲んだ。こんなことはもちろんこの時以外にない。翌日はやはり4時過ぎには目が覚めてしまったが、すっきりそのまま温泉に行った。朝から温泉というのも極楽気分である。8時から朝食ということだったので、散歩やら何やら、時間をつぶすのに苦労した。川沿いに散歩道があるのだが、こおろぎ橋も、あやとり橋もどうという事もない。そのまま早朝の街を歩いてみたところで、なにもなかった。何か特別のことがないのに、ホテルは人でいっぱいであった。実ににぎわっている。日本人ばかりである。やはり夏休み終わりという事もあったのだろうか。温泉は特別に良いお湯という事も無い。サウナはある。含石膏芒硝泉と書いてあった。調べると今ではナトリウムカルシウム硫酸塩泉というらしい。芭蕉は大層気に入ったらしいが、奥の細道の温泉よりいいとは芭蕉は温泉が分からないようだ。

みんなに会うと、自分が確認できる。自分が出来上がって行く年齢で出会った人たちである。会ってみたいなと思う人でも、同窓会というような形では顔を出したがらない人も結構いる。まだ忙しくて、とても時間が取れないという人もいる。路頭に迷っているのか、音信不通になってしまったひともいる。社会的な立場で言えば、随分偉くなっちゃた人もいる。小さな農家のおやじはどちらかと言えば見劣りするが、そうでもない雰囲気だ。あって何でも話せればもう十分である。私の場合は、大学の美術部にいた頃のまま、つまり、笠舞の下宿で、夜が明けて今日になった様な暮らしをしてきた。そして今回原発事故には打ちのめされた。日本経済にどういう影響が起こるかなど、本気で語っていた人もいた。実際に仕事をしてきた人の実感だから、参考になった。インターネットゲームの世界を事細かく教えてくれた人もいた。

「絵だけ描いても良いんじゃないか。」この言葉がこころに響いている。確かにそれが本当の事だ。いい訳も含めて、実際にやってきたことは「絵だけ描いていても、本当の絵は描けない。」こう考えてきた訳だが、しかし、「絵をどうするかをいつまでも遠回りしてもいられないぞ。」「なんで、水彩画をやっているのだ。油をやらないのだ。」こういう事を言う人もいた。多分これも同じことを言っているのだと思った。正面からの取り組むしかないという事を言っているのだと思う。それは、それぞれが生きてきた裏付けのある言葉だ。逃げている訳でもないし、水彩画が迂回作戦だとも思わないが、何となくそういう風に見えるのだということは分かる。絵を描くということは、自分の中にあるものを出しつくすということ。こういう共通認識は、時代的なものもある。自分の中を育てない限り、だめ。これをいつまでもいい訳に使っていてはだめだよという警告。

昨日の自給作業:イノシシ対策2時間 累計時間:17時間

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