東電に対する賠償請求

   

東電の賠償は、停滞したまま少しも進まない。もう一度、会って話し合いたいという申し出も、断られたままである。話し合いの議事録を作るという約束も、果たされないままである。原発事故を起こしたということは、地獄の釜をぶちまけたようなことであるが。被害者に向かい合おうとしない、というこの企業の姿勢は、さらに罪が深い。農の会に与えた被害に対して、全く向かい合おうとしない。一年が経って、今年のお茶摘みをどうするのかを決めなければならない時期になった。東電本社に電話を入れて見た。東電には、お茶摘みをしていいかどうか判断できないし、その調査もしない。お茶摘みを出来なくして置いて、東電は後のことは関知しない。東電は放射能をぶちまけた加害者であるという認識がないようである。まるで他人事のような白けた態度である。農の会は、大きな被害を受けた。一番は、仲間が4家族移住した。活動に参加できなくなった人も、かなりの数に上る。農の会として、存続できるかどうかの瀬戸際にある。こんなことが起きたすべては東電に責任がある。

農の会のように、農薬も化学肥料も使わずに、活動を続けてきた仲間には、放射能の汚染は、あまりに大きな打撃である。今までの努力がすべて、無になってしまった空しさは、考えれば考えるほど、根源的被害である。しかも東電にそれを言えば、もう会いたくもないという返事である。一体、加害者責任というものを東電は、どう考えているのだろう。どこに東電が存在するのか、訳が分からない。被害者に対して、まっすぐに向かい合うということが、加害者の倫理ではないか。東電と話していると、いつの間にか、東電の社員自身が被害者意識を持っていることが分かってくる。国の方針に従って仕方なくやっていた、という意識。原発事故を起こしたのは、巨大津波であり、自分達の責任の範囲を越えるとという意識。被害者たる農の会に対し、まるで、クレーマー扱いである。今年お茶摘みが出来るのかを、汚染した当事者東電聞くことの、おかしいことであるだろうか。

農の会の被害は、参加者の減少が一番大きい。農地の汚染と除去。放射能の測定。これらに対して賠償をしないというのだ。賠償はお茶が出荷停止になった部分のみと主張する。だから、東電の出した、様式に従って請求書を出せの一点張りである。この様式では、参加者の減少は、風評被害に当たることになる。とんでもない話である。風評ではない、有機農業を行っていたものには、50ベクレルであっても放射能が検出されれば、食べない人もいて当然のことだ。これは現実に起きている事だ。ところが、500ベクレルを越えて、出荷停止になったお茶以外は、対象外だと言う主張をする。それではお茶だけでも解決しようと、請求書類を進めようとした,NPOの場合はどうも、請求方法が異なるということで、ストップしてそれっきりである。何故被害者が努力しえ請求しなければならないのか。加害者が努力するのが当たり前だ。

参加者の減少のようなことは、NPO団体としては、金銭には代えがたい会の存亡にかかわる問題である。東電にこういう迷惑を与えたという事を、認定して、謝罪してもらいという気持ちがある。それには原因たる、原発の廃止である。そのことを認めるなら、お金なぞ一円もいらない。次に除染の問題。不可能なことである。不可能であるなら、どうすれば放射能の被害を軽減できるのか、研究してもらいたい。少なくともそうした研究に対して、支援をしてもらいた。そして測定のことである。広く測定をして、安心してもらわなくて、参加者の減少を食い止められない。その測定は東電が引き受けるべきことだ。それをしない上に、農の会の行った測定費用を、引き受けようともしない。今年のお茶摘みが出来るのかどうか。それすらまだ決められない。

自給作業:1時間 葉物種まき 累計時間:6時間

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