窮状の歌
沢田研二さんが憲法9条の大切さを歌っている。歌手として大変なことだと思う。例えばこんな小さなブログでも、少しでも、政治的傾向がある内容を書くと、そのときだけ敏感に反応がある。まして憲法9条の問題は日本人にとって、重いことだと思う。またぞろ、麻生首相は集団自衛権の解釈の見直しと言う事を主張している。既に憲法解釈はゆがめにゆがめられている。憲法解釈は現実政治に押しやられた、拡大解釈で不自然な物になっている。この点では憲法改定論者も、護憲主義者も同じ理解だと思う。ある程度の拡大解釈は仕方がないというのが現状であろう。憲法には手をつけず、さらに解釈の変更で、現実側から押し切ろうというのが、麻生首相の考えのようだ。何時までも、便法的な手法をとっているのは、日本のためにはならない。と言うようなことは当然充分承知で、それでも、今は便法としての、解釈の変更の検討を指示している。それぐらいこの問題では、アメリカの圧力があると言う事だろう。
しかし、一方ではアメリカの世界戦略が崩壊しかかっている。国連では反米勢力の拡大がある。国連の問題では、民主党小沢党首の国連主義も相当に危うい所がある。中東での武力行使も、成果があるとまでは言えない。危うさの増す中で、アメリカの軍事的世界戦略にほぼ組み込まれた、一角に日本がある。日本に米軍司令部を移動させると言う事になっている。日本側もこれを受け入れている。これは軍事的にはアメリカの支配下に日本がある、と言うことにならないか。アメリカの戦力および経済力の衰退とともに、日本の組み込みと言う事が起きている。アメリカは延々と戦争を続けてきた。イラク戦争での出費は3兆ドルにも及ぶらしい。幾らアメリカが巨大国家とは言え、経済が崩壊しない訳がない。サブプライム問題以前に、もう戦費で押しつぶされるアメリカの姿がある。そのあたりを日本の経済関連ではほとんど問題にしていないが、アメリカはもうこれ以上、戦争を続けられない経済状態になっている。しかし、経済は複雑で、引き上げることのダメージも大きい。矛盾をかかえたまま、戦線をアフガニスタンに移しつつある。
圧倒的な軍事力で、「グローバリズムと人権」の基に、世界を意のままに操作しよう、とアメリカはしてきた。評価については別にして、世界の安定に貢献した側面あった。しかし、その戦略はもう転換期を迎えている。日本も、一日も早く、日本独自の世界戦略を建てなければならないときだろう。にもかかわらず、麻生首相の相変わらずのアメリカ一辺倒の集団自衛権解釈見直し支持は、折角の時代の変わり目に立った総理としては、ちょっとなさけないのではないか。この発言をわざわざアメリカでしている。政治的センスにかけていないか。判断が単線的で日本の利益を、重層的に維持する、政治的駆け引きがない。今のアメリカは大統領選挙の最中であり、金融危機に始まる、経済の成り行きも見定めなければ成らない、複雑な状況だ。ここで先行して、集団自衛権云々を述べる意図が理解しがたい。まして、自民党自体が仮死状態で、大きな政治的変更を主張することが、馬鹿げている。もし、これを今度の衆議院選挙の争点にしたいというなら、解釈論ではなく憲法改定論に入るべきだ。
こうした背景の中、沢田研二氏は止むに止まれない思いをかかえ、窮状の歌を歌った。長年のアイドル系歌手としての活動の中で、こういう思いを育てていたのだ。そういえば「太陽を掴んだ男」では、並ではない演技を見せていた。この人の内部には普通でないものがあると思ったものだ。あの時は巨人戦のテレビ中継だったが、今回は現実の太陽を掴もうとしたのだろう。この国を愛して、この国の宝として憲法9条を思い。この国の平和な未来を願っている。そのかえ難いものとしての、憲法9条。沢田研二氏の思い、決断を高く評価したい。この姿は、養鶏をやる者なら、養鶏業の中でやれることをやる。そうしてこの決断に答える必要がある。又、平和の卵販売をしなければ成らないだろう。
昨日の自給作業:種蒔きなど1時間 累計時間:18時間