後期高齢者医療制度
お金がないから、よほどの事でなければお医者さんにかかれない。そんな気持ちが普通の感覚だった時代の記憶が私にはある。医療がよくなり、寿命もぐんと伸びた。悪い事ではない。しかし、いつか死ぬ事は、忘れているだけだ。
後期高齢者医療制度は、考え方の基本が間違っている。せめて死ぬ時ぐらい、普通でありたい。特別な事はいいけれども、人間らしく死を迎えたい。人間は誰であれ等しく死が待っている。それは大変不安な事だが、せめてその死に至る場面だけは安心なものでありたい。こう言う事が、平和に暮らす基本的用件でないだろうか。そう考えれば、後期高齢者の医療は無料である。そんな誰にとっても医療の平等な社会を目指すべきだ。ここまで受益者負担の考えを持ち込もうとした、小泉内閣の悪政のひとつが、今現われている。
まず、医療制度を考える上で、年齢で75歳を別けたことが、いかにもおかしいではないか。75歳ともなれば、それは人間の体の状態は、千差万別だ。三浦雄一郎氏のようにエベレストに登ろうとする人も居る。100歳で元気に働いている方も居られる。残念ながら、75歳を待たずに死んでしまう人もいる。医療分野で分けて考えるなら、終末医療の問題として考えるべきだ。医療費を低く抑えるには、人は必ず死ぬと言う事を受け入れるしかない。現在の医療は、何とかすれば死なないものと考えている節がある。それが昭和天皇の終末医療の姿だ。暮れのうちでは社会が困るだろうと言う事もあったと思う。正月三が日を過ぎての事となった。血液型がきわめて近い人を選び抜いて、輸血を続けたらしい。確かに社会生活の事を考えれば、そう言う事もあったかと思う。何か昭和という時代らしい死に方だと感じた。しかしお金はかかったとおもう。いわゆる社会的経済的損失と言う事からすれば、暮れの内は困る、というのもなにやら死に方としては、等しくない哀れがある。死ぬまで止められない仕事というのも、やはりおかしい。もし国民が等しくこんな医療をしていれば、いくらでもお金がかかるだろう。こう言う事は止めようというのが、終末医療の基本だ。
従前の医療制度では、自分の子供が加入している健康保険に被扶養者として加入していれば、お年寄りの健康保険料は事実上無料。それが、年金支給額が月1万5千円以上の後期高齢者すべてから年金からの天引きで保険料を徴収する。平均で月6000円。加えて、平均で月4000円の介護保険料の負担もあるから、軽減措置がなくなると、毎月1万円程度の保険料が年金から天引きされる。後期高齢者はいままで通り、医療費の1割を自己負担しなけれならない。(現役並み所得者は3割)。1割と言っても高齢者が入院した場合には莫大な医療費がかかるから、その負担は非常に大きくなる。もちろん、自己負担には毎月4万4400円という負担の上限がありますが、この負担限度額についても、今後大幅な引き上げが予定されています。しかも、現在でも食費と光熱費は保険の対象外で、全額が自己負担になっています。つまり、高齢者が長期入院すると、毎月の負担はいまでも10万円近くなる。
医療費を低く抑えるには、健康管理だ。健康な人をどうするかを考えた方がいい。24時間働ける体とか、叫んで。サプリメント飲んで、元気が爆発するドリンクを飲んで、それでも働いて、身体も心も病んで、医療のお世話になる。ここがおかしい。こんな社会のあり方を変えてゆくことが、医療費の問題に繋がる。「カラダの見張り番ネット」というのを東芝が始めた。東芝の健康機器を購入すると、そこに記録されたものが、ネットで集計される。それを見てくれる医療スタッフが居るという形だ。このシステムを地域医療でやるべきだ。街の各所にこうした機械を設置する。市役所や医療施設場所によっては公民館。歩いてゆける範囲に、必ずあるようにする。市民は健康カードを持っていて、何処でも差し込んで、機械に乗る。そうすれば、いつも状態が記録される。急な変化やメタボ健康指導が入る。こうしておけば、医療費は間違いなく減る。年に一度の健康診断などより、はるかに病気の早期発見の可能性が高まる。病気になる前に分かれば、医療費はかからない。初期なら費用も安い。しかも、どこの地域より、安心な街になる。