蓮池の整備

   

蓮池を整備して、蓮の苗を植えた。昨年は、その前の年の蓮をそのままにしておいて、自然に出てきたものを食べた。所がこの蓮が何故かおいしくない。ひとつには、水がたまらなくなった為だと思う。代かきをしないでも、水さえ絶やさなければ、減水は無くなってゆくものと思っていた。実際にはそうではなかった。だんだん漏れがひどくなり、最後は、水がほとんど貯まらなくなった。水の減ってゆく辺りを見ると、ネズミだか、モグラの穴がいくつも開いていた。そこであいた穴はその都度埋めた。埋めても埋めてもきりが無く、周りに何か手当をするしかない状態。それは池の側面の事なのだが、底からも漏れて行くようで、水自体が、貯まらなくなってしまった。これは以前山北で作った田んぼとは様子が違った。土も色々あるようで、土の粒子が粗い。田んぼから土を移動したいぐらいだが、もう一年、土の変化を見ることにした。

子供の頃の向昌院では、池ははっきりと貯め池だった。一段下の方に田んぼがあり、その田んぼの水を、上で貯めておく池だった。長方形で長さ20メートル巾5メートルぐらいあった。深いところでは、3メートル。それがだんだん漏るようになっていた。すぐ下の田んぼも、お寺の田んぼではなくなっていて、他所の人が耕作していた。お寺も住職が自殺してしまうほど、貧乏していた寺だった。それでも立派な池があり、室町時代に作られたものだと聞いていた。その池が実に凝っているのは、水源からの水の引き方だ。普通の寺で言うと、奥の院か開山堂がある位置に、水源がある。わざわざ水源から遠回りして、大きな五葉松の下から水が出ていた。この水の道は、人が通れる大きさがあり、しっかりとした石組みで出来ていた。本道の仏壇の裏に、抜け道があり、そこに続いている。どうもこうした工夫は、信玄の時代の寺院を出城にした名残のようだ。その水路の水が、先ず裏にある、心字の形の池に入り、そして、長方形のため池に流れ落ちる。その水が更に、下の田んぼに行っていた。

水路には、一杯にくわいが植えられていた。2枚になったいる、一反分ほどの田んぼも、しっかりとした石垣で組まれていて、普通の段々の田んぼ、という感じではなかった。水路は水を暖める工夫にもなっていたはずだが、すっかり壊れかかっていた。しかし、その痕跡はあり、全てが自給できる形の水のまわり方だった。そういう壊れかけた石組みの様子が、子供心に無常を感じた。池の底には、厚い粘土が積まれていて、どこかから運んだものだった。石ばかりの土地だったから、とても水など貯まる土ではなかった。田んぼも池と同様の作り方だった。大して取れる田んぼではなかったが、後に、村中にあった田んぼと交換したそうで、今はその2枚は、お寺の田んぼになっている。

我が家の小さな蓮池は、見た目は悪いが、周辺には畦波シートを廻した。まず、側面からのモグラ対策だ。40センチのものが埋まるくらいに廻したので、あまりはみ出ては見えないのだが、それでも所ところは、大きく出っ張っていて見苦しい。庭の池という感じはなくなった。庭に池を作るという、趣味的な風景で無くなって良かったかも知れない。堆肥を50キロほど入れた。田んぼで換算すればすごい量だ。これで、少しはおいしい蓮が、できることを期待している。代かきをしていると、残ったはずが、切れて出てくる。これが惜しくて、つい代かきを昨年しなかったのが、いけなかったのだろう。そう思いながら、ついつい又、代かきを思い切っては出来なかった。生きているのに、シャベルで切り裂く感触が、どうもいけない。

自給作業:2時間蓮池の整備 累計時間28時間

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