日本の米事情
お米ほど日本人の暮らしと密接にかかわる作物はない。日本人の物腰、所作にまで田んぼでの働く姿が反映している。和室での畳みの上の暮らしと。田んぼでの作業は関係が深い。ぬかるむ田んぼでの動き、すり足の動きと同時に重心の移動。足の運びの動きに比して、手のほうは手際よく働く。家の暮らしの方が、椅子と板の間、じゅうたん。と変わりながら、田んぼの方もどんどんと機械に変わった。昨日、こっこ牧場の脱穀をした。こっこ牧場はNPO法人として、生活再建の場として活動を続けてきた。私は農業分野の協力をいくらかしている。普段余り時間が取れないので、こうした作業をしながら、来年の話などしようと思うのだが。どうも、機械音がすごくて、何も話など出来ない。ハーベスターに使われきってしまい。最後は全員無口になってしまった。
幸い、お米は良く取れたようだ。無口になるしかないので、ついお米の収量から、価格を計算していた。これが生活再建になるのか。と思うような数字しかでない。概算だが、720キロぐらい採れたとする。このお米を生産するには、稲の苗代、4万円。地代が、3万2000円。それだけで、10キロ1000円のお米になるんだなぁー。など、あれこれ考える。坊所で作業時間を延べにすれば300時間はかかった。労賃をざっと考えて、考えちゃいけない。もうどうにもならないことになる。毎朝毎晩の水周りの、手間と費用など、どうなると言うのか。それなら、こっこ牧場では、安いお米を買った方が、暮らしとしてはマシなのか。しかし、それでは何かがおかしい。政府の進める、担い手への田んぼ集積では、ソロバンがあっているのか。
このまま低米価が続けば、粗収入から生産費を差し引いて算定する標準小作料がマイナスになり、土地所有者が金を払って貸すような逆転現象が生まれかねない。と言うのだ。お金を払って土地を借りていただく。そんな人がいるわけないから、放棄しておくのが賢い選択という訳だ。認定農家で、大きくした人は今、存亡の危機を向かえている。先日、給食米の不足の緊急通知が、農協から出た。「子ども達にお米を」という訳だ。足柄平野では農協にお米を出すような人は1割程度だ。作れば作るほどマイナスになるのに、農協にいつまでも出してる人はそんなにはいるわけがない。全農集荷の神奈川県産米はほとんどが、県の学校給食会に行く。そこから炊いたご飯を、各自治体が買い戻すと言う。中間マージンを吸い上げる為の、利権の仕組みができている。これは食糧事情が悪かった戦後時期の理由なき延長システム。
「小田原の給食を考える会」の活動で、せめて、全国並みに、米飯給食を週3回にという運動をしてきた。その結果。と思うのだが、来期からはついに3回になる、という話を聞いた。小田原のお米を、直接小田原市が買い付ければいい。そして炊飯するのが一番だ。各教室に炊飯器を置いて、自分たちで炊けばいい。横浜の子供はどうすると言われた。都会の暮らしがおかしいのは当然だ。そっちはそっちで考えればいい。見えるところで、できる限りまわす。この循環が大切。そうすれば、価格は再生産してもらえるように、せざる得ないことがわかるはずだ。農協が子ども達にお米を、と呼びかけるなら、買い付け値段を言うのが先だ。農家も生活してゆかなければならない。お米が安すぎることだけは、理解してもらわなければならない。