安倍首相の限界辞任
安倍首相は耐え切れなくなって辞任した。もう、泣きが入っていたから、長くはないとは想像していた。これほどの悪い時期、あるいは、いい時期に辞めてくれるとも思わなかった。参議院選挙大敗後、一日でも長くお願いしたいと、皮肉に考えていた。3分の2が憲法改定を目指す与党と言う衆議院の状態は、誰が総理大臣でも、危険極まりないと考えている。自民党衰退の為には、安倍総理大臣ほど効果的なものはないと思っていた。どどのつまり、テロ対策特別措置法の延期が紛糾して、解散になるのではないか。その時も安倍氏で衆議院選挙を戦ってくれることを願っていた。それなら確実に、自民党は過半数割れするだろうと、期待していた。確かに国民の暮らしにつながる、農業問題は深刻な状態だ。
本来政治が主導して、どうにかすべきことだけど、もう農水大臣があの体たらく、それでも地球は回っているで、いつも悪く言われる、問題ありの官僚が実態動かしている。WTOもしっかりと進んでいる。いわゆるグローバル化が進められている。それでいいのかどうかの、国民的な確認も説明もない。シドニーでの安倍氏の記者会見の様子では、とんでもない事を、ブッシュに約束させられたのではないか。ブッシュには、日本の総理大臣として、言わなければならないことが、山ほどあったはずだ。きちっと主張したとは到底思えない。この時期辞めてしまうぐらいだから、まともな判断能力は無かったとしか思えない。国際的公約と言っても、国民の責任じゃない事は、明白なので、外国の皆さんには、割り引いていただくしかない。結局、無理やり憲法改定の看板にさせられた人なのだ。汚れてしまった看板は用済みと考えた人が、降ろしたのだろう。
美しい国づくりを繰り返し言われた、当人の出処進退は美しくなかった。実に見苦しかった。結局国民の事など何も考えて居なかった。あの辞任会見において、国民に対する謝罪の言葉は、ほんのわずかでもなかった。辞任をテロ対策特別措置法の継続に最善と考えて辞めると、まだ自己弁護を繰り返していた。どうしようもない人の典型じゃないか。自分は悪くない。周りが悪い。そう言えば、会ってくれない小沢氏が悪いと泣言まで言っていた。総理大臣という職責を全く理解していなかった。総理大臣を批判している事を、まるで個人の人格批判をされたように受け止める人だ。なんとも美しくない人だった。
多くの自民党議員は、安倍氏と良く似ている。この前東京で当選した、丸川氏。選挙にも行かないのに、議員にはなりたかった。しかも与党の。与党じゃなければ意味がないといっていた。身分としての議員に、総理大臣になりたいだけだ。選挙で否定されても、基本としての民主主義の意味を理解していないから、代議員制度の意味を理解しないから、潔ぎ良く辞めるなどと言う事はない。その結果、権力志向の集まりが出来る。それは軍隊と言う暴力的権力を必要だと考えるタイプの人間が増えることになりがちだ。安倍氏は教育改革と盛んに言っていた。教育が悪いから、利己的な人間が増えると言う論理だ。まさに、安倍氏を生んだ、教育こそ最悪なものだったことになる。自己本位、他人の痛みを理解できない。だから、見苦しく不用に粘って、迷惑をかけても謝罪もせず、当然のような顔をして辞めることが出来る。とは言え、辞めてくれたことが、安倍氏の唯一のまともな判断だったか。