8月15日敗戦と鎮魂の日
今年の8月15日も早朝から暑い、風もない。一日暑い日になりそうだ。49年8月生まれなので、戦争が終わり、4年が経った時に生まれた。憲法で言う「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭」からは、一定の距離を持って生きることが出来た。幸運な狭間に生きて来られたような気がする。『平和』とはどんな状態を言うのか。単純に今の日本の状態だ。この日本の状態を作り出してきた、60年に深く感謝したい。日頃現政権である、自民党には極めて批判的な言動を繰り返しているわけだが、この日本の平和を、作り出した、一番の功績が、自由民主党にあることを認めている。例えば、敗戦後ソビエト連邦が日本を占領し、日本共産党が政権をとり、戦後の日本を運営したとすれば、もう一度戦争状態を経験していた可能性が高いと想像する。私は原子爆弾のお陰だなど、とは少しも思わないが。戦後の日本は幸運だった。
今の日本の平和という状態の大半は、世界史の稀有な幸運、偶然の賜物。ただその偶然に上手く舵取りをした功績は、かつての自民党にある。もちろん様々に制限を加えて、難破を防いだ各野党の存在にも感謝している。日本の政府は小過失は多かったが、大失敗はしなかった。例えば自衛隊を作らなかったほうが良かった。は小過失、決定的破綻にまでは今の所ない。この間アメリカの勢力下の、冷戦状態の外れの位置に存在した事が、幸いした。韓国を見ればそうは行かなかった事が良く見える。一応、私個人は軍隊がないという状態に生きて来る事ができた。徴兵制度がない時代に生きることも出来た。学校教育に、教練もなければ、教育勅語の強制も無かった。「なんと言う極楽トンボよ」という批判があるのは承知している。
広島大学に広島平和構築人材育成センター(HPC)が設立された。外務省の委託で日本人15人とアジアからの参加者15人の計30人を受け入れる。広島で講義を6週間受けた後、アジア、アフリカの国連機関や国際NGOで5カ月間、実地研修を積むカリキュラムが動き出している。冷戦後の世界は、国家間の戦争より、宗教間、民族間、の紛争が激化している。日本国憲法で日本人全てが、平和を希求して、国際紛争の解決に平和的努力をすることになっている。民族間、宗教間、の戦いに、日本人は何が出来るのだろう。コンゴやルワンダで起きている殺戮と難民。イラク、イラン、アフガニスタン、北朝鮮。テロと呼ばれる、殺戮が、毎日毎日起きている。
「何が出来るか。」結局は、自分自身が平和に暮らすと言う事にたどり着く。なんと言う極楽トンボか、という批判は受けながらも、そこが原点であることに間違いはない。燃やせるゴミにビニール袋を混ぜてしまう。そして溶融炉を造る。そんな日本人の暮らしが、世界の紛争を激化している。自分が食べるものを39%しか作らない。自分の暮す家の材料まで、遠い国から運んでくる。電力をやたら消費するので、原子力発電所を作る。こんな暮らしを止める。こんな日本人の暮らしが、イラクでの殺戮につながっていることを、想像出来る。ここをイメージできるかが分かれ目だ。日本が発展途上国に経済進出することで、その国を豊かにしているのだ、働く場を創出し、暮せるようにしてあげているのだ。こう主張する人が居る。本当にそうなのか。何故そのことが紛争につながるのか。想像を深める。
他人の事でない。8月15日の自分自身の誓いだ。