農の会定例会

   

農の会は月1回第二金曜日の夜、定例会が開かれる。このように決まって、5,6年は経つと思う。場所もアチコチ移りながら、昨夜は曽比の地区公民館で行われた。15名の参加だった。6時30分から9時40分まで、開かれた。

後半は収穫祭の事だった。新しい収穫祭の形の提案があった。農作業を収穫祭の中心に据えようという、全く新しい形なので、私にはどうなる事か、見えてこなかった。今までの収穫祭が、忙しくて、自分達が楽しめなかった。この反省から、出てきた案という事だ。

昨年も300人を越え、又今年の夏祭りは、550人の参加者という人数になると、受付け係や、駐車場係を担当すると、祭りの様子も見れないという事になる。どの担当も、自分の担当をこなす為に、精一杯で、祭りを楽しむとは程遠かった。こういうことで、自分自身が楽しめるような祭りにしたいというところから、新しい提案になっている。

竹林の整備を午前中して、昼は持参のお弁当を食べる。これで充分楽しめて、祭りになる。こんな考えのようだ。話しているうちに、段々昨年のもののと折衷案的なものになったが、まだ、具体的にはとても、実現できる姿が見えてこないので、後は実行委員会形式に、して詰めるしか無いと、係りから意見が出たが、千田代表が、この場で結論を出さないと定例会の意味が無い。という発言に成ったが、会場の時間が過ぎていて、何をどう結論したら良いのか、開催はするぐらいが結論といえば結論で。と言っても日時、も場所もまだ決まらず、相当に大変になってきている。
これは、来週定例会をもう一度開くしか無いだろうということで、来週再度集まることになった。

先日、東大の池本教授のお話で、オランダで開かれた、「人間成長」という学会のことがあった。7回目だそうだ。農の会のことを、大学院の金さんが報告してくれたそうだ。東大の皆さんが、農の会の何を調べていたか、という事に少し気付くところがあった。池本先生は、アジアの少数民族のことを調べたりしているので、私たちとどんな接点があるのだろうか、不思議だった。

20世紀社会が、「経済成長」という尺度で測られてきたのを、21世紀は「人間成長」という尺度で、考え直せないか、こういうことではないのだろうか。先生に怒られそうだが、素人考えである。農の会のことが、その学会では、興味を持って討論されたという事である。

農の会では、収穫祭の形が、今の常識的なものでは自分は楽しく無いし、やる意義が無い。やるなら、自分たちらしいものをやりたい。こういう強い欲求がある。これは、自分達の暮らしに直結した思いだ。来てくれる人にサービスをするというのに違和感がある、と言うようだ。来てくれる人も、農作業をして、楽しめばいいじゃないか。「ハレとケ」を考えると、今の時代農作業こそ、ハレだ。と言うのだ。まだ煮詰まらないが、この辺が面白いとは思う。

農の会は何であるか、まったく新しいところを開拓しているのだと思っている。経済でもなく、宗教でもなく、思想でも無い。生命観というよな、暮らしの日々を「生きて行く感」で探っている。だから、その収穫祭が、今までの常識から飛躍するのは、当然の結果ですばらしい事だが、収穫祭が世間的窓口ともなってきたので、この辺がどう収まるか難しい。

 - あしがら農の会