お米の値段

   



日本の消費者はコメに国際価格の2~3倍を支払っている。ーーー高崎経済大学柿埜真吾 氏
 
 これはいわゆるフェークニュースである。もしこんな単純な間違えをしているとしたら、大学の先生としては相当無能な方だと思われる。なぜ今更こういう虚偽のデーターを専門家が主張するのかと思うと情けなくなる。こんな間違った情報を消費者が信じて、お米を食べなくなるのかも知れない。

 日本国内にもコメの価格差は2~3倍はある。おいしいとされる銘柄米は高いし。安い業務用米もある。タイのインディカ米と日本のコシヒカリを比較しても無意味である。車の価格を車種を考えないで比較する人はいない。

 確かにお米の生産コストは日本のお米はアメリカの6倍くらいになると言われている。様々な条件が違いすぎる。極端な例えで言えば、マンゴーを石垣で作るときと東京で作るときでは、まったく生産費が違ってくる。農産物はそういう物である。

 水がない地域で、費用をかけて水を引いてくればその費用がお米の生産費に上乗せされるならば、日本よりもいくらでも高いお米は存在する。そもそも主食に関して言えば、国際比較すること自体よほど注意深く考えなければ、正しい材料にはならない。

 新聞でそういう記事が出るのは、その程度の物なのだから仕方がないことだが、専門家の議論は材料が雑では議論が出来ない。果たしてご飯1杯が30円くらいだとして、これが外国では10円の国があるのに、高いご飯を食べさせられていると言えるのだろうか。

 日本人にはご飯に対する相当なこだわりがある。お米の味に関してこれほど問題にしている国は他にはない。最近徐々に日本と同様に美味しいお米を食べたいと言うことになり、日本の銘柄米が高くても売れるようになってきている。

 香港で日本のコシヒカリが3倍で売られていたとして、買う人がいるからその価格なのであり、高いお米を香港の消費者は食べさせられているわけではない。

 もう一つが日本のお米の生産費が高いという問題。まず経営規模が違う。一つの稲作経営体の規模が1000倍にもなる。広大な平らな土地がある国がある。日本では稲作農家の経営規模は3㏊ぐらいである。一区画は0.1㏊程度である。アメリカでは1区画が10㏊もあって、しかも日本の何百倍の経営規模である。そのアメリカよりオーストラリアはさらに広い。

 日本の国土にはそれほど広い農地は存在しない。そんなまとまった平野があるとしても、稲作にだけ使えるわけではない。本来稲作の適地は農地ではなくなり、宅地や工業地帯に転用されている。しかし、日本より条件の悪い稲作など不可能な地域の方が普通だ。

 気候はどうだろうか。オーストラリアは水さえあれば、稲作には向いている。しかし大半の場所に水がない。だから地下水を汲み上げて稲作をする。地下水が出なくなれば、農地を放棄する。そもそも、こういう収奪的な農業地帯のお米の価格と比較する意味があるのだろうか。

 日本では外国人労働者によって農業が維持されるようになってきた。こういうことも価格比較には影響している。そのほか、水田ダムのような環境調整能力を価格はどう反映するのかも検討が必要だ。水田がなくなり、赤とんぼがいなくなって、寂しい思いは価格にどう影響するのか。

 稲作の教育的効果を価格はどう反映するのか。日本人の道徳心はイネ作りと結びついている。日本教の神様にはお米が奉納される。私が5穀を作らなければ、豊年祭が出来ないと言われた小浜島のイネ作りのお米の価格はどう考えれば良いのだろうか。

 主食はその国の人を作り出している。日本の高度成長は日本の稲作文化に支えられた物だ。主食は文字通り、その国の人間を生み出している。主食はよその国と比較して考えてはだめな物だ。主食に関しては国際貿易と切り離して考える必要がある。

 生産コストは下げる努力をしなければならないのは当然のことだ。お米の価格が政府に高値で保障されていたために、いびつな産業になったことは確かだ。しかし、そうして稲作農家を維持しなければならない、様々な理由があったことも事実だ。

 かつては東北地方から、金の卵と呼ばれる若い労働者が都会の労働力として供給され、日本の高度成長を支えた。そして東北の農家は農閑期には出稼ぎ労働者となり、高度成長を支えた。その基盤としての稲作農家の維持が必要な物だった。

 日本の工業の成長は米価に支えられた側面もある。そうした時代を経て現在は価格は政府は直接は関与していない。お米の輸入を制限している。稲作農家を守るためである。大所から見れば水田がなくなることが日本の損失になると、政府はまだ考えている。

 そうした諸々の末に現われているのがご飯一杯30円である。私は安いと思っている。赤とんぼが飛んでくれるのであれば、30円は高くない。キュウリ1本30円はする。栄養価から考えれば、30円は主食として適正な価格ではないだろうか。この30円だって、15円くらいの日本産のお米もある。高いと思
うならそれを食べたらどうだろうか。

 プランテーション農業によって、主食を奪われた民族は国自体が疲弊した。綿を作る農業者が飢え死にをしたのだ。サトウキビを作っていて、胡椒を作っていて、飢え死にをしたのだ。国際競争力を主食に当てはめては成らない。

 一つの国が成り立つのは食糧自給の規模が適正である。主食は貿易品から除外して考える必要がある。主食が作れる範囲でそれを大きくは越えない国健全な国だ。たまたま石油が出るから、すべての食糧は輸入するというような特殊な事情の国もある。

 しかし長い目で見ればその国も石油は出なくなり、食料の生産が出来る範囲で、国を成り立てて行かざる得なくなる。それが健全なのだと思う。特殊な事情の国もあるかも知れないが。日本はお米を主食として生産して、この適正価格は日本の生産費から考えればいいものだ。

 現在稲作農家は経営が出来ない。だから後継者はすくない。とくに稲作農業者の人口は減少を続けている。それに変わって農業法人が登場している。しかし、生産の条件の悪い地域では田んぼの放棄が進んでいる。機械が入らないような田んぼは放棄され、農地でも無くなっている。

 そういうことを良しとしているのが、冒頭に書いたような悪質なデマをかく人間だ。日本のお米は決して高くない。日本の風景を残したいと思うなら、高くない。

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