2020年一人の味噌づくり
煮あがった大豆と、ビニール袋に入った塩切した麹とこれから詰める甕。
今年はコロナ自粛で味噌づくりを集まって行う事は難しくなっている。追い込まれたような気持を払しょくする意味でも、味噌づくりは一人でもやりたいと思っていた。今まで長く味噌づくりをして来たのに、コロナ自粛で味噌づくりを中断するという事はあってはならないと思う。
食糧の自給は出来る限り止めてはならないものだ。身体が動く間は続けたい。味噌づくりを行うという事は、自給の覚悟を持つ手がかりのようなものになっていた。味噌はただの食糧ではなくなっていた。発酵食品の長い熟成の時間が自分の生きる時間と重なる。
もう20年になる。農の会として取り組み始めてからも10年は優に超えただろう。大豆・お米を栽培して、味噌・醤油を作る。これは農の会の自給を象徴する総合活動だと思ってきた。たぶん他にはここ迄やれている組織はないはずである。それが当たり前のようにできているところが農の会の力ではないだろうか。
1反の田んぼがあれば、一つの家族が米、味噌、醤油と確保できる。お米は田んぼで作り、畔で大豆を作る。600キロのお米と10キロの大豆があれば、味噌醤油と基本となる食糧が確保できる。1反の自給百姓である。
味噌を作るためにはまず米麹づくりである。去年のお米の余ったお米を麹にする。麹を作るためにはむしろ古米の方が上手くできる。お米は日々の暮らしのためには途切れるわけにはいかない。新米が出来ても古いものから食べるのは農家では普通のことだ。そして麹を作る分だけの古米になったところで、新米を食べ始める。それが12月ごろという事になる。
今年は古いお米が14キロぐらい残った。これを精米したら、12キロぐらいになった。実は恥ずかしながら、一袋の口が開いていて虫が食べてしまい使えなくなっていた。しかし、12キロという量は十分な麹の量である。味噌づくりには麹を3キロ使う。
麹は11月29日に仕込んだ。5番手入れまで12時間ごとに行い。2日の朝に出麹となった。良い麹が出来たと思う。家の庭で、渡部さんとやったのだが、何から何まで渡部さんが準備してくれて、便乗させてもらったというのが、実態である。
12キロのお米の量はちょうど米袋ひとつで出来る。米袋麹づくりはとても簡便で、しかも散らからず汚れない、良い麹が家庭でも出来る。蒸し上げたお米に麹菌を植えて、そのままコメ袋に直に入れてしまう。麹菌はまんべんなく植え付ければ、揉み込むようなことは必要ない。
29日の1時に始めて、15時に植え付けが終わった。そのまま30日の朝7時までそっとしておいた。ホットカーペットの上である。上に毛布を掛けてあげた。温度は40度にはならないように管理をする。
麹の中には長いコードのある温度計の検温部を差し入れて、枕もとで麹内部の温度が見えるようにした。動きを監視して30度台で保てるようにした。翌朝、米袋をそのまま袋に開かずに、上下反転させながら、かき回し一番手入れをした。お米がこぼれない様に、袋の入り口はガムテープで止めた。
その後は12時間ごとに袋を開けずに何とか、かき回す。その方が衛生的である。1日の夜4番手入れの時に袋を切り広げた。切り開いた袋一杯に麹を広げて、電気カーペットはやめる。上からダンボールで覆いをして、12時間。2日の朝5番手入れをしてに出麹とした。そのまま覆いを取り除いておいた。3日の朝頃には完全に冷えた。
この間田んぼの工事をしていたわけだが、管理には全く問題がなかった。部屋にはその間洗濯物を干していた。乾燥が強いよりは湿気ている方がいいかと思ってだが、どれほど効果があったのかはわからないが。例年通り良い麹が出来ている。
12キロの麹の内3キロは味噌づくりに使う。残りの9キロは十分に発酵が終わり、袋に入れても再発酵しないようになったところで小分けして袋詰めする。そして冷蔵保存をして一年間何かと使う。主に甘酒である。
甘酒は好きでよく飲む。ご飯を軟らかめに炊いて、同量の麹と混ぜて同量のお湯を入れる。40度程度に一晩保つとできる。ステンレス網で濾すと滑らかになり美味しい。夏の間の健康飲料である。飲む点滴と言われるほどからだの栄養補給になる。
田んぼ改修工事も無事終わり、4日は朝から一人の味噌づくりである。3日の夜5時に大豆3キロをきれいに洗い、水に浸けた。4日7時30分から大豆を煮始めた。10時30分に煮あがった。大豆が十二分に柔らかくなった時に、水分が大豆に沁み込んでなくなるように炊いた。こうするとおいしい大豆に煮あがる。
そのまま1時間置いておき、冷めたところですりこ木でつぶした。柔らかくなっていたので簡単に粒はつぶれた。つぶれたところで米麹と混ぜる。米麹は先に塩と混ぜる塩切をしておいた。混ぜながら、甕に詰めた。一段詰めては塩をまぶし、一段詰めては塩をまぶしを繰り返し、一番上には残りの塩を一面にかけた。
サランラップで密閉して床下にしまった。間に昼ご飯を食べたが、すっかり終わって2時だった。味噌の甕への詰込みは1時間ぐらいで出来た。味噌づくりは案外に神経を使いつかれるものだ。終わって少し疲れていた。昨日までの田んぼの改修工事では感じなかった疲れだ。
一人で味噌を作るのは山北以来だ。手際としては確かに一人は簡便である。しかも気に入ったものになった。何か面白くはない。みんなでやる楽しさがない。みんなで協力する味噌づくりはお祭りである。人間は同じ気持ちの人たちと集まり、気持ちを合わせることが必要な生き物だとしみじみと思った。
それでも味噌づくりが終わると、何か役目が済んだ安ど感がでてきた。自給作業の確認点検が終わったような気分である。今朝はやる気魂が出てきている。今日はタマネギの植え付け作業である。改修工事を行った舟原の奥の畑である。雨が降りそうで心配だが、ダメなら明日がある。