水彩画がおもしろいには理由がある。

   

 
 幸運にも日々水彩画三昧である。水彩画を描くほど面白いことはこの世に無いと思う。これほど面白いことは、滅多にあるものでは無い。子供の頃から絵を描いてきて改めて良かったと思う。前向きな目標を持って毎日を送れる。水彩画の面白さを何とか説明したいのだが、難しい。難しいことだが確かな理由がある。

 水彩画を描くと今の自分の至らなさがよく分かる。至らないのだが、前にわずかづつでも進んでいることが、画面で確認でききる。この進んでいるは傍から見れば怪しいものでもあるが、自分としては確信を持てることだ。

 面白さは年々深まって来る。若い頃は絵を描くと言うことが苦しいこともあった。ところが、今は楽しいだけで苦しいなどと言うことは、みじんも無い。生計とは関係が無い。この年になれば、好きで何をやっていたところ後ろめたいところはない。若い頃は絵を描いていることにどこか申し訳ないという気持ちがあった。

 面白しろいと言う気持ちをもう少し具体的に説明しようにも、方法が思いつかない。面白いは面白いのだから、あえて説明を加えるとすれば、生きがいというモノに結びついていると言うところかもしれない。絵を描くことで充分満足できる人生の確信。

 面白いは何だっていいのだとは思うが、子供の頃はベイゴマにはまっていた。強いベイゴマを作ることに熱中した。強い要因は5つある。金属の比重が重いこと。金属の固さが堅ければ堅いほどよいこと。相手の駒よりも重心が低いこと。中心が絶対と言うほど正確にとれていること。そして、それを削り出す技術である。

 熱中した、あまりに熱中して夜中に隠れて倉庫でベイゴマ製作をしていたほどだ。しかし、さすがにベイゴマはくだらないことであることはよく分かっていた。ベイゴマ製造などどれほど巧みであっても、みっともないだけである。自分の中の倫理観はそれをよく分かっていた。今はその倫理観は少し揺らいでは居る。

 あれこれはまってしまう性格なので、やっかいなことも多々あった。親に見つかれば怒られるようなことばかりなので、隠れてやると言うことが大変だった。絵を描くというのも意識して始めたのは小学校4年生の時だ。図画の時間が面白かったのだ。

 しかも、絵を描くことは隠れてやらないでもすんだ。褒められもしなかったが、止めろとまでは言われなかった。以来絵を描くことを止めたことは無い。芸大には行ってはならないと言われたが、絵を止めたことは無い。いままで子供の頃のまま来てしまった。好きになったには理由がある。

 ベイゴマなら、ほぼ達成した。確実に日本で一番強いベイゴマに到達した。そこまで行ったとき止められた。「清兵衛と瓢箪」である。少年がすごいヒョウタンを作るのだが、そのヒョウタンの価値は大人には理解されない。そして清兵衛はヒョウタンを忘れる。確かにヒョウタンのどこがすごいかなど、わかりにくいことだろう。清兵衛のヒョウタンは知らないところで高価なものとして評価をされた。

 水彩画はヒョウタンよりもさらにわかりにくい世界である。このわかりにくいと言うことは大切である。芸術の意味はそう簡単なものではない。水彩画はまだ本当の水彩画と言える絵は登場していないと、考えている。油彩画や水墨画であれば、行き着いたと言えるような状況が無いとは言えない。しかし、水彩画はまだ本物が無いと言える。これは主観的な考えでは無いと思う。論理的に説明が出来る。

 ところが水彩画は小学生が始めて絵を描くように、初心の一般的なものである。にもかかわらず、ダビンチもいなければ梅原龍三郎もまだいない。何故か大画家が本格的に取り組んでいない空白領域なのだ。材料としては究極的素材なのに、何故か取り組む人がすくない。取り組む人が居ても、水彩画の端の方の仕事だけなのだ。

 ヨーロッパで言えば、ターナーとクレーだろう。しかし、偉そうに言えば、その程度なのだ。二人がダメというのでは内。二人の水彩画はまだまだ水彩画の領域の一部に過ぎないのだ。東洋の世界観に気付いていない。水彩画は水墨画と油彩画が合体したような表現が可能な奥深いものだ。東洋画の神髄とも言える。本格的に誰かが取り組むべき材料なのだ。

 この未開拓というところに惹かれる。やっていると、未だかつて無い表現という未知に出くわす。自分の勘違いもあるかもしれないが、見たこともないものが出現する。しかも、それが実に自分の心に親和性がある。他の材料では経験できないような納得感がある。加えて日本の自然の色彩に実に適合している。それは精神を表現するにふさわしい深い色調といえる。

 すごい材料だと思う。実はそれには理由がある。まずは支持体が紙と言うことである。紙を超えるような素材はない。油彩画であれば、キャンバスが一般的であるが、キャンバスを生かすと言うより、絵の具を描くのであり、キャンバスは普通は見えなくなる基材にすぎない。水彩画の紙は完成したときも基材としての美しさが遺憾なく発揮される。

 紙で描くものには中国画や日本画がある。ところがこれらは顔料が水彩画に比べると劣る。水彩画の顔料というモノは日本画の顔料に比べれば、100分の1ぐらいの粒子である。そこまで細かくしても色を保つ顔料が必要である。顔料は一般に細かくすれば、白くなる。白くない小さな粒子は貴重である。さらに細かな染料というものはあるが、これは他の色を染めてしまうので絵の具にはなりにくい。

 もちろんこれは歴史的なことで、現代では合成顔料が一般的で細かい上に鮮やかな色が自由自在である。もちろん良い絵の具は油彩絵の具より高価なものにならざるえないところが残念だが、確かに良い色が存在する。

 細かいと言うことは透明感があると言うことになる。透明であると言うことは、紙の白の明るさを反映して、明るい表現が可能と言うことになる。暗い表現のばあい、大抵の絵の具で可能である。ペンキであろうが、油絵であろうが、暗さは可能である。しかし、明るい表現の世界は、水彩画以外では不可能といえる。

 自然界は実に明るい。あの明るさは油彩画では無理である。まばゆい明るさをそのまま生かして表現できるという所が、水彩画の魅力である。明るいと言うことは希望を感じさせると言うことでもある。より良き世界を描くためには明るさは不可欠である。私の世界観では涙より笑いの方が大切なことだ。

 そして水墨画のような自由な筆触が可能と言うこともある。水墨の表現が筆跡に精神世界を託すように、水彩画でも筆遣いに思いを乗せることが出来る。筆先の動きに、自分の感情の揺れ動きまでも表われてくる。この点で言えば、書のような要素も含んでいると言える。

 このように水彩画の表現が余りに多様で複雑なため、難しすぎると言うことがある。誰でも始めてすぐにでも扱える簡単なモノなのだが、30年毎日研究していても、新しい発見がいくらでも出てくるのだ。白と黒は使わないなどと言う水彩画がある。ところが、白だけ考えてみても実に複雑な使い方が可能なのだ。

 水彩画の表現が身についてくると、自分の観ている世界を画面に持ってこれるような気持ちになる。私絵画である。自分の世界観に浸れるというか。自分の観ている世界が、画面の上で生き生きと表現されるのだ。この喜びに勝るものがあるはずも無い。

 中川一政には水墨でも、顔彩でもすばらしい絵があるが、ところが水彩画では無い。もし中川一政が水彩画を描いていたら、と言うような絵を描いてみたいと思っている。顔彩で塗られた色の強さを水彩で出す点が難しい。いまはそれが出来るかもしれないと思っている。

 中川一政氏がもし油彩で無く、水彩画で駒ヶ岳にぶつかっていたら、すごい水彩画になったはずだ。ここに私ならばと言う思いがある。中川一政氏は90歳を超えて最高の絵を描かれた。一年でも長く描いてそこまで水彩画で行きたいと思う。そんな野心を持てるところが水彩画の面白さである。

 やっと自分がやるべきことが見えてきたから水彩画が面白いのだ。出来るかどうかは別にして、向かうべき方角だけは70歳にして見えてきた。おかしくなって妄想しているかどうかは、絵を見ればある程度は分かることだ。わずかながら前進しているようだ。

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