石垣島に民主主義を取り戻すために。
石垣島名蔵湾 サトウキビ畑の刈り取りが終わる。
民主主義の基本のあり方は住民自治である。代議員制度は住民の意思をくみ取るための代替え制度である。議会制民主主義は代議員に任せきる制度ではない。行政と代議員はそのために「適正な手続き」と「説明責任」が必要となる。
自衛隊基地の是非問題以上に重要なことは、市長が民主主義を踏みにじっていることだ。自衛隊基地設置には民主主義的な手続きが必要である。どれほど市長が考える正しいことであっても、民主主義を軽視して進めるのであれば、国の安全保障などあり得ない。正しいと思うことであればあるほど、民主主義を重んじて進めるべきだ。
議会や行政は主権者たる住民に対して十分な説明責任を果たし、住民の意思を確認しながら、その職務を適正な手続きにしたがって進めなければならない。この1年の石垣島の行政と議会はその責務を正しく果たしてはいない。
それは市長であれば、よく分かっているはずだ。もし、民主主義的な手続きをとらないで、自衛隊基地を進めるのであれば、石垣島に政治的な汚点を残すことになる。それは島の未来に取り返しのつかない政治手法になる。自衛隊基地ができること以上に、民主主義は大事なことだと思う。
行政のすすめかたが、説明をしても、話し合っても無駄と言うことが常態化してしまった。具体的に言えば、住民投票の要求が三分の一の請求で行われているが、市長は住民自治基本条例の不備を理由に行うことがない。条例に不備や疑わしき展があるとすれば、住民の利益を計り判断をするのが市長の役割である。
自衛隊基地建設予定地の周辺の4つの自治会ではこぞって反対声明を出している。しかし、自治会に対しても十分な説明を行わない。水の問題。環境アセスの問題。島の象徴でもある、神聖な於茂登岳中腹が適地であるかどうかの問題。いずれにつても、十分な会頭をせず無視をしたままである。
このやり方を冷静に考えれば、自衛隊への土地売り渡しは全く民主主義を逸脱している事は明らかである。住民が行政に繰り返し話を聞いて欲しいと要求している。しかし、一切話を聞こうともしない行政である。要望書の提出に対して市長も副市長も立ち会おうとすらしない状況に陥った。
このかたくなな態度は民主主義ではあってはならないことではなかろうか。市長はあくまで自衛隊基地配備は、国の問題で市が関与できないという姿勢である。これはごまかしていることだ。自衛隊基地が石垣の住民に必要であるかは、石垣の住民が考えなければならない当事者の問題である。それが国の安全保障であっても同様のことだ。
先日の推進派の集会では住民投票を行えば、自衛隊基地に賛成する物は少数派に決まっていると、講師の日本会議の方が明言をしていた。住民が大半が賛成できない物であるならば、よりその必要性を説明をするのが、誘致をしている市長の責任ではないだろうか。
自衛隊基地に関しては当然賛成の人もいる。反対の人もいる。すべての問題に賛否があるのは当たり前である。話し合い、少数意見をも尊重して充分時間をかけて進めるのが民主主義である。国の専権事項だから、問答無用というのでは民主主義を行政が捨てたと言うことだ。
昨年3月からは工事を行うには環境アセスが必要に条例が変わった。自衛隊基地はあわてて、2月に着工をした。環境アセスをすれば、天然記念物のカンムリワシの営巣する場所であることが分かっていたからである。
こうした、住民の希望を踏みにじるような進め方は民主主義ではあってはならないことだ。反対の多い自衛隊基地が必要と考えるのであれば、なおさら丁寧な進め方をするのが市長の勤めであるはずだろう。そうでなければ、住民は分断されることになる。
この場所は水源地域である。於茂登岳があるおかげで石垣は水の豊かな島としてすばらしい環境を享受してきた。どこの島でも水では天水を頼りに苦労をしているのだ。それが於茂登岳がそびえ立ち、石垣の命の水を与えてくれている。
この大切な水源地域が自衛隊の立地にふさわしくないという意見は推進する与党の中にもあった。自衛隊を誘致するにしてももっと敵地はあると言う意見だ。島にとって最悪の場所に作ろうとしている。このことも結局うやむやになっている。
一方、政府は中期防衛大綱で琉球弧全体を軍事基地を並べて、中国に対抗しようとしている。この中期防衛大綱自体が間違っている。日本国憲法に逆行している。国際紛争は平和的な手段で解決すると決められている。
少なくとも、琉球弧に基地を並べるという発想が、前近代的な妄想である。日本が覇権主義の国であればそういう発想になるのかもしれないが、日本は専守防衛を基本とする防衛大綱である。琉球弧にミサイル基地を並べたところで、抑止力としての意味は小さい。
現代の戦争では基地は見えない方が優れている。ミサイル基地は移動式で攻撃対象にならない方が望ましいのだ。潜水艦ミサイルであれば補足されにくい。又どうしても地上に必要というのであれば、無人島に作るべきだ。いくらでも適地はある。
政府は平和的な手段ではない、軍事基地を南の島に並べようとしているのだ。中国が覇権主義だからと行って、それに対抗してはならないというのが日本国憲法なのだ。どうすれば日本の安全保障を確保できるか、あらゆる平和的手段を模索すべきだ。
最小限の防衛的軍事力を整えるとするのであれば、南の島に軍事基地を並べるようなことは全く理にかなっていない。それは軍事大国アメリカの発想である。無尽蔵に軍事力を持つ国であれば物量に対して、物量で対抗しようと言うことになる。
しかし、日本は小さな国である。アメリカの手助けがある間はそれも可能であるかもしれないが、いつまでもそれが日本の安全保障の絶対と言うことでは無くなる。アメリカは中東からも引き上げ始めている。
アジアからも手を引いて行く可能性はある。そうなったときに今の中期防衛大綱は空洞化した物になるだろう。日本の実力での最低限の防衛とはどういう物になるかを根本から見直さなければならない。
軍事基地は見えない形にしなければならない。移動式である。潜水艦のような物だろう。見える形の軍事基地は覇権主義的な威圧するための軍事基地だ。本当の自主防衛とはどういう物になるかを見直す必要がある。
北朝鮮小さな軍国主義国である。北朝鮮も原爆長距離弾道ミサイル発射台は移動式と潜水艦方式にしようとしている。固定式にすれば、ひとたまりもないからである。中期防衛大綱の見直しが必要になっている。
いずれにしても、こういう進め方であれば、市長のリコール以外にない。市長が民主主義を否定するなら、市民はどこまでも民主主義の手法で進める。市長の民主主義を否定する政治は支持する人は極めて少数に違いない。間違いなく市長はリコールになるだろう。私もリコール活動には全力で協力させて貰う。