呼吸を鍛錬する方法
毎朝、太極拳八段錦と24式をやっている。呼吸法としてやっている。そもそも呼吸器が弱いので、呼吸器鍛錬のつもりである。深い呼吸をするためには身体の動きに合わせて呼吸をきたえるというのは良いのではないかと思う。
生命維持の基本は呼吸である。酸素を吸って、2酸化炭素を吐き出す。生き物はすべて呼吸をしている。酸素を吸い込み肺で吸収し血液に取り込む。同時に2酸化炭素を排出する。この仕組みは胸腔や横隔膜で肺を取り囲み動かしている。
呼吸が止まるときが命が終わるときだ。呼吸は無意識に行ってはいるが、心臓のような臓器とは違い、脳が命じて行う活動である。努力して良い呼吸ができるようになれば、心肺機能が活性化してくる。
激しく運動をすれば、呼吸も速く大きくなる。身体が必要として自然と早くなる。そういう意味では呼吸は身体的反応でもある。しかし意識して止めることもできる。意識が強ければ、呼吸を止めて命を終わりにすることだって可能なのだろう。
良い呼吸を行うと言うことは努力で改善できる。禅でも、ヨガでも、太極拳でも、東洋の自己鍛錬は呼吸が重要とされている。西洋では呼吸という物はそれほど重視されていないらしい。
東洋と西洋の違いは呼吸に対する考え方の違いと言ってもいいのかもしれない。東洋の医学では自己治癒力という物を重視する。その基本が呼吸にある。医師で鍛錬できる呼吸を整えることで、免疫力を高めることができる。
絵を描いているのは瞑想とも違うのだと思うが、実践的にはよく似ている。絵を描いているときの呼吸法だって、絵に影響しているはずだ。絵を描いているときは半分寝ているような状態である。心拍数も56程度である。フィットビットを付けてみて分かった。呆然としているような感じで風景を見ている。
絵は脳で描いているように見えるが、脳だけではないと思っている。それが東洋の美術である。精神からの反映を重んじるのが東洋の美術だ。私絵画は内部的な世界の表出だから、脳の意志だけではない。
姿勢を整えるとか、足を組むというのも形から入る禅なのだが。気持ちが集中してくると、身体に力が妙に入ってしまい、安定しないからあの形になる。絵を描くときでもその形はとても重要である。私の場合、車の中というある程度取り囲まれた状態が良いようだ。
車の中でゆったりと座っている。絵を描くと言っても実際に筆を動かす時間は10分の1くらいである。自然にやることが見えてくるのを呼吸を整えて待っている。
毎朝の太極拳では、限界まで呼吸をするようにしている。八段錦には吸気と呼気の動作がある。動作を遅らせれば、呼吸が深くなる。動作の速度に合わせて、より深く大きな呼吸ができるように努力している。特に呼気が難しい、ゆっくりと長く引くように行う。
そして呼吸を止める状態も大切である。どこで止めるかと言うことも動きの中で定めて行く。8段錦全体での呼吸を決めて行く。基本は開くときに吸気を行う。そして動きが止まるときには呼吸もとめる。そして身体を閉じる動きの時には呼気をはききる。
呼吸と動きが定まれば、動きの速度で呼吸の速さも決まる。ゆっくり限界までゆっくり動く。呼吸は深く奥まで行われる。身体の動きで呼吸が永く、深くなるように後押しをする。
きっとこれは、唄を唄うことにもいかせるだろう。唄を唄うのも半分は呼吸を深くするためである。生きているのだから、呼吸ほど大切なものはない。食べ物も大事だけど、一瞬たりとも抜き差しならないのが呼吸だ。
年をとるにつれば、肺活量は下がって行く、それは生命の活力が下がって行くような物だ。呼吸を鍛えなければならない。大きな声を出すのもいい。時にはデモに参加して大声を出す。
手のひらに見えない玉を乗せているつもりで八段錦をやっている。そうするとたなごころというか、手のひらの中が、ほんのり暖かく感じられる。不思議なものだ。わずかに暖かい玉は意識なのだろう。その玉は逆さにしても下に落ちるようなこともない。意識をすべてたなごころに載せる。
呼吸だけに意識を集中する。八段錦はほぼ動作を意識しないでも動けるようになってきた。呼吸が無意識でできるのと同じで、動きも意識のないままに動けるようになりたい。そうなると、まるで動く禅のような物になる。
まだ24式の方は意識しなければ動くことができない。70の手習いである。どこまで身につくかは分からないが、続けて行く内には覚えるのかもしれないと期待してやっている。身体の動作に意識が行くので、到底瞑想状態にはほど遠い。無意識で動けるように覚えるだけでも1年は必要なようだ。子供の時に覚えたラジオ体操はいまでも無意識に行える。
ぼけ防止である。頭を使うと言うより、身体を動かすことで、頭を鍛えている感じがする。八段錦、二四式と一通り終わると、30分くらいである。その終わったときの感触は良い物だ。手を前で組んで座禅のような状態に入る。終わった開放感なのか、まるで座禅を組んでいるようだ。
清々としている。頭の中を清流が流れ、掃除が済んだような感じがする。空という感じはこのときに訪れる物に近い。実に明瞭で開放感があり、すがすがしい物だ。座禅でも座るときには身体を動かし徐々に止めて、身体を止める。
まだ絵を描き終わって清々したと言うことはない。できない物だ。に近い。