棚田を守り、瑞穂の国を守る生き方をつなげる
日本では美しい農地が失われて行く。理由ははっきりしている。経済合理性のないものは、日本ではあらゆる分野で成立しない。しかもその経済合理性は、今だけの経済合理性である。どこか国の政策には焦りのようなものがあり、未来を見据えたことができなくなっている。
国家100年の大計というが、50年先の日本は人口5000万人の国になっている。日本の山河は荒れ果てたものになっている可能性が高い。世界全体が食糧不足に陥っているのは間違いが無い。50年先日本人は体を使って農業を行えているだろうか。今日生まれた人たちが、50歳になってどんな暮らしをしているのだろうか。
50年先の日本は、好きなことをどれだけ自由にやれているだろうか。好きなことがカジノやゲームというような、国になっていないだろうか。人間はひたすらに生きると言うことが大切だとおもうが、そのうち込めるものが、健全なものではなくなり始めているような気がしてならない。
健全とは建設的で、創造的なと言う意味なのだが。日本人全体が受け身で、消費的なものだけに反応するという人間になっていないだろうか。田んぼを楽しむような事ができる人間は、どれだけいるだろうかとおもうと、心配になるところだ。
こんな国にしてしまった事については、私にも責任がある。次の世代の方々には申し訳の無い限りである。なんとか美しい田んぼを一日でも長く、続けたいと思う。あと5年である。この間に少しでも次の人につなげたいと思う。
農地でも、工場と同じような合理性が求められて、美しいと言うことはほとんど考慮されない。畑はまっすぐに植えた方がいいと言うことだけで、定規で引いたような形を合理性があると考えてしまう。絵に描いて美しい農地は、その土地の起伏に応じて、複雑だが自然の合理性で区切られている。
お百姓が手作業で農地をつくれば、いつの間にか自然に応じたものになる。水の流れを合理的に作ろうとすれば、起伏が生かされた美しいものになる。ブルドーザーが行う整地ではこの美しさは失われる。
この微妙な丸さは私が手作業で作り出した丸さだ。ここは植木畑であった。そして放棄されていた。なんとも言えない良い田んぼになったものだ。人間の手作業というものはそういうものだと思う。
江戸時代の農地の美しさはお百姓さんの暮らしから生み出された美意識である。美しい暮らしに誇りがある。農地にごみがあるようなことを我慢できない美意識で百姓の暮らしは維持されていた。日々働く場が美しいものであると言うことは、作る作物にも影響していた。
日本の農業の四季の姿は、里山景観を素晴らしいものとして育んだ。棚田が世界遺産になり、棚田を保全する法律もできている。湿地にはラムサール条約があり、田んぼも湿地として登録されている。
しかし、棚田と湿地を守れば日本が守れる状態ではないような所まで来ている。むしろごく普通の農地を守らなければ、日本全体が荒れ果ててしまう所まで来ている。福島の原発事故で放棄された田畑はたちまちに、見るも無惨なものになっていた。
農村の景観を守ると言うことは、水田を守ると言うことである。このことを意識する必要がある。実際に水田を止めた沖縄本島の景観を見てつくづく水田の豊かさと、美しさを再確認した。もう棚田の保全というように限定して済むような状況では無い。
お米が余るから、水田は減少して行く。大規模な水田ができる分だけ、小さな水田が止めて行く。美しい田んぼから失われて行っている。このままで行けば、お米の消費は今後も年々減少するだろう。どうやってお米を食べる人を減らさないかである。
パン屋さんには悪いが、学校給食はすべて米飯給食にする。子供の頃からお米を食べる習慣を身に付ける必要がある。そして全国の学校で学校田を必須科目にする。自分で作ればお米のおいしさを知ることができる。都会の学校は地方の田んぼのある学校と姉妹校になり、交流をしながら、学校田を行う。
これが国家100年の大計である。
農地法を変えて、都市近郊の水田に関しては誰もが耕作できるようにする。農家は水回りなどの管理を請け負う。市民が行う田んぼの水管理を地元の農家が行う。そうすれば、市民田んぼが増えて、小さな田んぼが維持されることになる。
田んぼを行うと言うことは、暮らしの基本が固まると言うことだ。食べ物が確保できれば、後の生き方はかなり自由度が高まる。収入が少なくとも、安心して生きて行ける。そうした自給市民を増やすことは国の安定にもつながる。
山本七平、イザヤベンダサンが書いた、日本教というものがあるとすれば、それは稲作に始まるものに違いない。日本人の所作から、信仰、文化すべてが稲作に影響されている。この日本人の骨格をなしていたものが崩れ去ろうとしている。
瑞穂の国を守ることができるとしたら、経済とは離れることのできる自給のための田んぼだ。それは普通に勤務しながらも可能な稲作だ。そうした稲作を奨励するためには、農地法を変えなければならない。
まだ今のところはやりたい人は居る。やれる条件もある。にもかかわらず、条件不利な美しい田んぼが刻々失われている。始めるためには様々な壁があるかもしれない。しかし、始めてみればそれほど難しいことで無いことが分かってもらえると思う。
協力できることがあれば、何でもさせてもらう。瑞穂の国のためなので、全く遠慮はいらない。小田原の田んぼであれば、相談に乗ることができる。
今年の稲刈りは10月初めになる。体験してみたいと言う人は参加することができる。メールであれば、私のホームページから申し込んでもらえばいい。このブログのコメント欄に連絡を入れて貰ってもいい。
生身の人間として、自然の中にどこまでも入り込んで行く素晴らしさ。人間が生きるというギリギリのところで、自給としての農と向き合うこと。いつの時代でもそこから始めれる事ができれば、大丈夫だと思う。
50年先の若者が、私と同じように荒れ果てた昔農地だった、日本の自然に立ち向かうことがあるかもしれない。そのときに、私の書き残した、自然養鶏の本と小さな田んぼの本は必ず役立つはずだ。そういうつもりで書いた。実際にシャベルだけでやってみた実践記録だ。
私の取り組んだときには、そういう実践例を記録したものがなかった。そのために全くの手探りだった。私にはそれでも子供の頃山梨の山村で目にした、自給自足の暮らしがあった。50年先に日本の若者が参考になるものであればと思っている。
個人的な計画としては、野菜や小麦や大豆などの経験も本にして残したかったのだが。そこまではできなかった。