プラステックごみは燃やすほかない。

   

プラステックごみを燃やせと言うと、大体の場合顰蹙をかう。しかし、この点では残念ながら、石原慎太郎氏と同じ考えである。プラステックは現状では燃やすことが、止む得ない選択である。それ以外の方法ではマイクロプラステックの増大を食い止められない。この考え方が間違えであってほしいものだが、何度考えてもそういう結論になる。プラステック類のリサイクルという事が言われるが、リサイクルは全体の15%程度でうまく行っていない。発電材料の方はコスト問題があると言われているが、まだ希望はある。循環がおかしくなっている。今まで日本では中国に輸出していた。輸出が出来なくなり、環境省が各自治体にその分の焼却をお願いしている事態である。日本国内に中国資本のリサイクル企業が進出するというが、日本は自分の後始末も自分で出来ない国という事だ。今に中国資本の放射性廃棄物の処理会社まで来てくれるのかもしれない。プラステックのリサイクル分別が面倒くさくて、難しいがために、その辺に投げ捨てる人が多いのではないか。水路には時々ビニールゴミが流れてくる。海のビニール汚染の原因はプラステック分別の面倒くささにあると見ている。農業資材など、どう捨てたらいいかじつに難しい。
プラステックのトレーなどはよく洗って出さなければならない。誰でも知って入ることだ。それでなければリサイクルはできない。プラステック再生会社は汚れたプラステックの分別に人件費をかけて汚れたものを焼却処理に回している。私はお湯も洗剤を使わないので、きれいに洗う事が出来ない。プラステックのリサイクルを大切だと考える人の多くの人は脂ぎった汚れをお湯で洗って、リサイクルに出しているのではないだろうか。このお湯を沸かす石油の量の方が、新たにプラステックを作る石油の数倍を必要としているのだ。洗う人には分かっていることだろうか。その上に、洗剤まで使えばその浄化処理の負担も出てくる。油や、洗剤は川に流れ出ているところも多々ある。川に出てくれば田んぼを汚す。リサイクル会社では集まるプラステックごみの50%は、結局のところ焼却に回されるの。こうした全体の人件費を考えると、リサイクル処理のほうがはるかに高いものにつく。
プラステックごみのの焼却でダイオキシンが出るという、あの騒動が遠因していると思う。あれは騒動であり、本質を外れた主張だったと思う。政府はこの期に至りレジ袋の有料化を法制化すると言っている。何だろう、この悠長な不甲斐ない対応は、社会や人間を馬鹿にしているとしか思えない。この形式的な無意味な対応は政府の言い訳以外の何物でもない。怒りを治める程度の政策である。レジ袋を禁止すればいい。持って帰るよう気がない人には、特別に高いい紙袋を出す。そもそもレジ袋の量など知れている。プラステックごみ全体の解決などとは全く関係がない。解決策は難しことではない。プラステックの包装資材は特例を除いて禁止する。それが出来ない間には、燃やしてしまうほか道はない。確かに燃やすのは間違っている。プラステックを梱包材に使うことが間違っている。それに社会が気づくまでは燃やすのは、社会全体の罰則のようなものだ。悪いことを解決するために、さらに悪いことを選択している。
ごみで人類は滅びるのかもしれない。ごみはまさに経済競争の結果である。核のゴミなど処理法がないのに、日本が国際競争に勝つためにはため込んでおく他仕方がないというのが、政府の考えである。ごみ処理は待ったなしである。ごみ処理法が見つからない間は、どんなものでも製造中止である。プラステック製品は、商品の販売競争の末に販売に便利で競争に勝てるという事で開発された。しかし、廃棄物となったプラステックごみの処理法が出来上がる前に、商品はプラステックに依存してしまった。60年前はプラステックなどなくても、社会は廻っていたのだ。経済競争というものが、いかに世界を悪くしたか。人間は思い知る必要がある。くどいようだが、燃やす方がよりましな処理だ。焼却炉によっては、生ごみが多くて水を燃やしているような炉さえある。当然助燃に重油を利用している。こんなやり方をするくらいなら、上手くプラステックごみを混ぜ込めばいい。むらなく燃やし高温で燃やせば、汚染物質の排出も減る。ここまで書いてきて、繰り返し書いているような気がしてきて、虚しさが増してきた。申し訳ない。

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