小田原の44日間は、素晴らしかった。

   

小田原は梅雨入りになった。雨の田んぼが美しい。4月27日から6月10日までの小田原暮らしであった。小田原の一番良い季節、風薫る5月を存分に味わう事が出来た。農家の人になったように、農作業に明け暮れた。これは小田原に住んでいた時にはないことだったかもしれない。4月27日の種まきに始まったイネ作りである。5週目に田植えをして、一週間水の調整をした。そして、9日にコロガシをして帰る。毎日15000歩の作業である。2万歩が2回あった。田靴で歩き回るイネ作りだ。自分の身体がまだ農作業に耐えられるという事が分かったことがうれしい。イネの種まきから、田植えまで。麦の草取りと麦刈り。ため池の草刈りが2回。玉ねぎの草取りと収穫。お茶摘みと茶畑の草刈り。でん田楽団の練習が2回。小田原の家の片付けがほぼ完了。まごのりさんの圃場の草刈りが1回。この間絵は1枚しか描かなかった。座っている窓からの景色である。田んぼを描きに行こうとも思う日も少しあったが、農作業の方がやりたかった。
この44日間は、すばらしく面白い日々であった。精一杯農作業することの愉快を味わった。良い仲間がいるから楽しいのだと思う。感謝の気持ちが染みてくる。一人でやる農業であるなら、わざわざ小田原には来ない。石垣に行って離れてそういう事が良く分かる。石垣では全く一人で、ただ絵を描いている。絵を描くことに専念して他のことはあまり考えない。人と一緒に何かをするという事がない。絵を描くという事はそういう事なのだが、絵を描く暮らしと農作業をする暮らしが対照的になって、ボケあたまにもやりたいことが再確認できた。絵を描く暮らしに入るためには農作業の暮らしが必要なようだ。気持ちの良い農作業をするためには、絵を描く暮らしが必要である。それを実感した日々であった。その一つひとつに没頭し、やり尽くすためには農作業も絵を描くことも私には必要だ。形がなければ日々を充実できない。普通の人間という事なのだろう。昔はそういう自分をダメな自分だと考えていたが、今はそれでいいと思える。というかそれで仕方がないと考えている。具体的な目標があることで、やり尽くせる自分というものがある。
炊事洗濯掃除も結構ちゃんとやった。禅堂ではそういう日常が重視される。「行住坐臥」行くこと、住まうこと、坐ること、寝ること。これが大事だ と、当たり前の日々が大事だという事。日常以外にはなにもなく、そのことに専念する。掃除洗濯炊事も修行だと。三沢老師から、石ころが掃除をしていると。言われたことがある。その時気付くことがあった。お寺ではごみなどまるでないところを掃除している。こういうことが苦手だった。掃除になり切るという意味だろう。炊事が農作業の準備ではない。洗濯をすることを絵を描くことと同じくらい本気でできなければという事なのだろう。寝ることすら、心拍数は56の時もあれば、61の時もある。ちゃんと寝るという事だってそうたやすいものではない。良く体を使えばよく眠れるというが、私には絵を描いている方がよく眠れるという事のようだ。これが小田原に来て農作業していても、平常時心拍数が56にならなければ行住坐臥とは言えない。これは想像なのだが、農作業はいつも先の心配が伴う。収穫物が存在するからだ。良い苗作りが良いイネ作りだと考える。明日の水温はどうだろうなどと、農作業には先々の心配が付きものである。明日の作業の段取りなど、常に頭にある。小田原にいる間の6週間予定をどううまくこなせるかという事だった。
絵を描くことには予定がない。ただ絵を描いて居られればいい。別段先々の心配はない。収穫物の期待がない。絵には自分のままであるほか、どうにもならないというあきらめがある。やっているのは私絵画はそういうものだ。絵が自分であれば、それで十全である。偉いお坊さんであれば、座禅修行が行住坐臥なのだろう。それ以上も、それ以外もない。ところがこれでは、引っ掛かりがない。それで絵を描くことに向ったようだ。絵を描くという事が少しはっきりしてきたのは、この44日間の小田原生活のお陰である。今度石垣に戻り、どんな絵を描くのかとても楽しみである。どんな自分になっているのかが楽しみだ。もう一つフィットビットでの不思議がある。44日間、連日農作業を続けた。普通に考えれば運動能力は高まったはずだ。ところが有酸素運動によるフィットネス能力は65から64に下がっている。どうも理由は心拍数にあるらしいが、良く分からない。こんな暮らしが私の、2地域居住の始まりである。小田原での人間関係に感謝しながら帰る。

 - 石垣島