楽観主義者と問題思考が揃えば上手く行く。
問題点に気付く人と、可能性に気づく人がいる。二人が揃うと大抵のことがうまく進む。まんぷくラーメンの松坂慶子おばあさんは、問題点から発想する面白さだった。娘役の安藤サクラのふく子さんは可能性の方角をかぎつける天賦の才がある。親子だからと言って、大いに異なる。私の母はとことん、松坂慶子である。それくらいの美人であったという自慢ではない。まず、問題点から考える。父は冒険的で、何でもやりたがりの人であった。思いつくとすぐ始めてしまい、軌道に乗ると忽ちに興味を無くした。記憶力と、持続力がないとえばっていた。その結果母は次起こる問題にいつも向かい合わざる得なかった。アクセルとブレーキがなければ車は運転できない。問題は誰がハンドルを握るかである。私は安藤サクラさん型である。面白そうな良いことの方ばかりに頭が行ってしまう。人間が希望的観測で出来ている。これでずいぶん得をしてきたと思う。面白いことをあれこれやらしてもらった。なんやかんや、8回も引っ越しをした。もっと良くなるだろうという方に意識が行ってしまう。そしてついには石垣島に行くことができた。石垣に行けば自分の絵が描けるだろうと、そう思うといてもたってもいられなくなる。先に待っているだろう可能性のわくわく感で楽しくて仕方がない。
次のことを思いめぐらせている間は悪いこと等全く思いつかない。その為に後で無駄になることも多いのだが、記憶力が乏しいせいか後悔することはない。お坊さんが夏の炎天下、油の入った甕を背中に背負って汗だくだくで、山門にようやくたどり着く。いよいよお山に続く階段の上まで登りつめたところで、甕が出っ張った石にあたって割れてしまう。するとその僧は何もなかったように、そのまま振り向きもせずに寺の庫裏に入って行ってしまった。達磨大師の覚悟である。「失(しつ)は頭を廻(めぐ)らさずして甑(そう)を堕す。」無駄になることなど何もない。絵を描き始めた子供のころには、絵描きというものになるつもりだった。全く不安もなくなれると思っていた。絵描きにはなれなかった。それでよかった。後悔のようなものは少しも湧いてこない。いま絵が描けるという事で十分である。子供のころ描いた夢は自分の鶏を作ることだった。そしてササドリという鶏を作った。好きな鶏を思う存分飼う事が出来た。しかし、それは鶏種として残ることなく、消えた。それでよかった。そしていま絵を描いている。絵も私が死ねばすべてのことは消えることだろう。振り返らず山門を入っていく覚悟。
先日、着物を廃棄していた。60枚くらいあった。燃やしてしまうのも、さすがにまずいと思い、そういうものを集める金沢のヤマトクという業者に送ることにした。着物を無料で送ることが出来る。そして、査定してお金が入金されという。お金のことは1週間は立ったがまだ音沙汰がないので、どうだかわからないが、タンスの中身は片付けることができた。タンスは田植えが終われば廃棄する。着物は袋に入っている。空けて確認するのはシノビないで、そのまま送られてきた段ボールに詰めていた。するとなんとなく気になる袋がある。何の気なしにその袋だけは空けてみると、僧衣である。さすがに、申し訳なさで手が止まった。僧侶のおじさんがくれたものである。茶色の衣だから、間違いなく私が僧侶になった時に、頂いたものだ。ここで出て来たということは、死ぬときには着て行けという事だ。僧侶として生きているつもりであるが、見た目僧侶であることとは違うと考えている。私が僧衣を着て暮らしていれば、何かありがたい存在と間違う人もいるかもしれない。山頭火が衣を捨てたように、本当の行脚は衣を着ていては出来ないと思ってきた。
大抵のことは上手く行くわけでも、悪くなる訳でもない。その両方が待っている。良くないことが起こるという事は、次に良くなる前段である。禍福はあざなえる縄の如しという見方は、長い目で見れば真実である。田んぼの面白いのは、予測できない問題が起こるからだ。乗り越える面白さ。受け止め方次第である。ダメな場合を先に予測する人を悲観的な人という事は出来ない。問題解決能力が高く、先回りして問題に気付く人である場合が多い。そういう人は思いやりがある人と言える。先々の心配してくれているのだ。母は、全国の天気予報を見ていて、今日は雨だと。雨の所を探しては教えてくれていた。確かに畑仕事には雨を困る。しかし、雨が降ると風景が良くなる。晴れの日より、濡れ色の風景はすばらしい。陰った日の方が色は良く見える。石垣島で何をするのですかと、聞かれることが良くある。「絵を描きます。」こう答えるほかない。「良い趣味があってよかったですね。」と言われる。全くそのとおりだと思う。絵を描いて居ればいいという事ほどありがたいことはない。人生そのものの楽観である。