人工頭脳が人類の未来を変える。
科学の発展は止めることはできない。人工頭脳というものが人間を支配するだろう予測は、2050年と出ていた。ロボットが単純労働をやる社会はそこまで来ている。ロボットが人工頭脳を備える社会は、人間がロボットに従う社会のようでもある。山極寿一京都大総長の予測である。「50年までの技術進化で人類は転換期を迎える」とみている。もちろんこの転換期いう意味は良い場合もあるし、悪い場合もある。是非100歳まで生きてその成り行きを見てみたいと思うが、2030年にはまず、人工頭脳が人間の能力を凌駕する時期とされる。人間を超えれば、後は人工頭脳同士が互いにその能力を高め合ってゆくことだろう。こうしたときに、人間が人工頭脳をどのように使うかである。ビックデーターを政府や企業が支配し、国民を操作していく。こういうイメージもある。これも未来社会の問題なのだろう。しかし、あくまで不安であって、なぜ人間社会や個人の暮らしがだめになるのかは繋がらない。人間より思考能力の高い人工頭脳が考えてくれることが、回答を人間に与えてくれる社会が果たしてどういうものになるのか。大きな課題がありそうだが、明解な想像は出来ない。
身近なところから考えてみると、個人情報が漏れるという事はどういうことなのだろう。ビックデーターというもので、自分の行動が逐一把握される。それは不都合なことなのだろうか。プライバシーがないという事は何がまずいのだろうか。私はフィットビットをいつもつけているから、監視しようと思えば、常にどこにいるか把握されている。把握されていて別段不都合はない。その昔、要注意人物として監視されていたことがある。だからと言って困ったという事はなかった。鳥インフルエンザ流行の時には身の危険を感ずるような不安があり、すべてを公開した方が、却って安全のように感じた。鳥インフルエンザ流行ではおかしなことが繰り返し起きたのだ。WHOのなかで起きた製薬業界の莫大な利権の暗闘。私は当時情報など持って居なかったが、それ以外考えられない動きが見えた。その巨額な汚職問題は今は明らかになったが、当時は何か見えない恐怖を感じたが、特に何も起きなった。確かに命を狙われる人はGPSは付けられないだろう。
個人の情報が明らかになることは困ること。医療データーを国が一括管理した場合、この情報が悪用される可能性がある。医療データーが統一管理されること自体は医療費削減に繋がることだろうし、また医療の革新に大いに貢献する。例えば、フィットビットのビックデーターから、病気の予知をする、膨大な実証実験が行われていることになる。すでにそのデーターから、疫学的研究が生まれているという。情報の悪用という意味では、あらゆる場面での悪用が想像できる。例えば、あの人はこういう病気であと寿命は何カ月であるというようなことが、本人の知らない間に流される問題。様々な病気が虚実様々に流布されるようなことは、確かに問題があるだろう。しかし互いに寿命や病気を知って暮らすという未来社会も悪くはないのかもしれない。
監視社会という事が言われる。政府に監視されるという意味であるが、独裁政権に監視されるという事は、最悪のことだろう。しかし、民主的な政治が確立されたうえでの監視はただ悪いともいえない。ここでも、ビックデーターを操作する存在が、悪意を働かせる可能性がある状況があるのかどうかが問題なのだろう。国民背番号制自体が悪いという訳ではないが、政府に対して絶対的な信頼がなければ、こうしたやり方は普及しない。情報漏えいや悪用の問題は信頼性である。政府が統計調査で法律違反をしていた。総理大臣は謝罪はしたが、政治家は誰も責任をとる訳ではない。国民は政府の統計資料には信頼性がないと考える人が70%を超えたが、アベ政権の支持率は50%を超えているという。こういう状況でビックデーター政府が利用しているという事は、独裁政治と状況は近い。
私が自由にされているのは、どうでもいいからに過ぎない。まあ、自由主義が存在することの、悪い意味での証明のようなもの。私が本当に安倍政権を倒しかねない存在になれば、その前にどこかで抑え込まれるだろう。窯の中の茹でカエル。だけれども情報の把握は避けようもない。避けられない以上、悪用できない制限が出Kるのかどうかが課題なのだろう。