TPPに中国を加える必要がある。
TPP11という貿易協定を日本が承認することになった。私はこの法律が日本の文化を終焉に導くだろうと考えて、反対のデモに参加した。分からないのは、アメリカが抜けた現状での日本の姿勢が、アメリカの復帰を願うという、なんとも自主性のないところだ。アメリカがいた時は、日本文化がデズニ―ランド文化になるというイメージだった。ところがアメリカが抜けた。トランプ主義は自分主義であるから、交渉して有利になるという事だけしか考えがない。目先の欲得だけで考えるのであれば、強い者と、弱いものの間に、対等な貿易協定などある訳がない。資本主義というものはそういうものだ。アメリカという強い者が市場としてのアジア地域を見ているに過ぎない。ところがアメリカが抜けたという事は、一つのチャンスなのかもしれない。TPPというものはアジアを成長市場として見ていると内閣府の説明にも書かれている。それなら、アメリカはいらないだろう。何故アメリカがいなくて良かったと考えないのか、その理由がわからない。アメリカをやめにして、中国にを入れるように交渉したらいい。
どの国も自国有利になるための貿易協定を考えるているのである。それはアベ政権も同じなのだろう。日本の工業製品を海外に販売することが大きな目標であろう。そのためには、日本の農産物を犠牲にしても仕方がないという考えが、当然あるのだろう。自動車の方が、お米よりも儲かると考えている。お米があっても、お金がなければ、日本人の暮らしどころではない。日本は貿易立国するほか道がない。こんな風に思う人が多いいと思う。この戦後の高度成長思想を日本人は切り替えることができないでいる。成功体験が災いしている。世界市場における、日本有利の社会的条件はもうない。高い賃金。労働人口の減少。農村社会の崩壊。地方の消滅。人口の老齢化。この将来の現実中で、日本という国がどのような国として生き抜くべきかを考える必要がある。核ミサイルを保有する国に日本がなるべきかどうかである。結局のところ核ミサイルがない限り、アメリカ、あるいは、中国の言いなりにならざる得ないことは、北朝鮮の姿で分かる。しかし武力路線では日本には核ミサイルの選択肢がない。とすると日本の立ち位置は、琉球王国のような姿である。
空手に先手無し。帯刀も許されず、どのようにして国家の尊厳を守るのか。文化立国である。唄と古酒でのおもてなし文化である。魅力的な友人になって、尊重される道である。石垣が世界一の観光地になれば、誰がミサイルを撃ち込むだろうか。もちろんイスラム国の様な、おかしな国が現れてでたらめはやる可能性はある。それでもちゃちなミサイル基地を作るなどという、場当たり的な防衛政策では無意味である。大国の核弾頭に向けて、迎撃ミサイルで対抗など出来るわけがない。それはあくまで日本国民向けの演出に過ぎない。日本人の保険好き。アメリカや中国が金正恩の体制保障をするというように、日本は世界から体制保障をされればそれでいいのだ。今十全に体制保障をされている。世界の3%以外の国は核ミサイルなどない国なのだ。それでも迷惑をかけない国であれば、普通に生きて行けるのだ。中国や、アメリカと権益を競うということから軋轢が生じるだけだ。権益とは企業利益と考えたてもいい。
アベ政権の日本という国の将来の形にごまかしが生じている。地方再生という事も主張する。地方社会はこのまま行けば、まずは消滅する。このままのTPPではそういう流れを加速するだろう。それは縄文時代の日本よりも劣る状態になるということだ。弥生時代の日本よりも劣る状態になるという事だ。日本人が日本文化を育み、日本列島に暮らすという意味では、まず、食糧自給国家である。貿易においては、食糧は別に考えるべきだ。安全保障として一定の枠が担保されてしかるべきだ。食糧をアメリカに依存すれば、日本人が衰退し、消滅するという事になる。TPPに中国を入れるように努力すべきだ。確かに中国はなかなか入らないだろう。一体一路などというよくわからない標語の下に、中国も自国有利な貿易協定を作り出そうとしているのだから、難しいだろう。しかし、中国と交渉を始めることには、アメリカに対して意味がある。