水彩画のルーティーン

   

石垣島の何時ものところで描いている。クジャクが描いてもらいたいというように前を歩いている。石垣島にはクジャクが結構いる。農家は困っているのだと思う。

最近スポーツ選手が競技に挑むときに、縁起を担ぐように、左足から靴を履くとかいうことをコメントする人が増えた。そのことをルーティーンという日本式英語にしらしい。routine決まった手順、お決まりの所作、日課などの意味の英語。たしかに絵を描くときにもそういうことがあると思う。絵を描く合どのように描いたときに、一番うまくいったのかを思い出している。昼ご飯を食べなかったときによかったとなると、どうしても食べないで描こうということになる。春日部先生はそういうところがあった。私はむしろ何か食べながら描いた方がいい。少なくとも、コーヒーは必ず飲む。まずコーヒーを飲んであたりを眺める。これがないと始まらない。ルーティーン的に言えば、まずファミマに行き、カフェラテホットを購入する。その時朝食にサンドイッチを買うことが多いい。これもほぼ、レタスサンドというやつである。別にそれがおいしいからというより、ルーティーンである。たいていはあと飲み物として、野菜ジュースも買う。別にハイキングに行くわけではないのだが、食べないとしても、それくらい持っていないと安心が出来ない。夜まで描いているかもしれない。も詩もという時の用意をしていないと落ち着かないのだ。ときにはそのまま捨てざる得ないこともあるが仕方がない。

雨が降り出すような天気で暗かった。海の色が素晴らしかった。新しい海のやり方が見つかるような気がした。

ファミマのトイレで水を汲む。これを忘れる訳にはゆかない。いよいよ描く場所に向かう。場所を探すということはない。描く場所はもう前日から決まっている。探しながら描いてろくなことがなかったからそうなった。ほとんど同じところしか描かない。そして普段他のことで通るときに、描きたいところに出合うことがある。それを記憶しておいて、あそこに行ってみようという気持ちの日にそこを目指してゆく。制作場所に着いたら、まず車から降りて最適の場所を決める。車のわずかな角度の違いでダメな日もある。位置決めが出来たならば、道具を取り出してきれいに配置する。始めたらでたらめになるから、水などひっくり返さないように、絵ががたついたりいないように、よほど気を使って配置する。右側にパレット絵の具、筆、水と決められた配置に並べる。そして、パレットを見て、絵の具の補充をする。書き出して絵の具を絞るというようなことがないように、正しく量を出しておく。そのうちに今日の絵の色が見えだす。基調となる色である。例えば、写真の絵であれば、緑の絵になりそうだけれど下書きは、赤系で進めておこうというような感じである。その基調になる色を大量に溶く。筆も4種類ぐらいはいつでも変えられるように準備をする。そこからはわからない。成り行きである。どこかに行く。一枚一枚同じということはない。もう始まれば、ルーティーンどころではない。

 

 良いと考えたことの大体は、間違いなのだ。思い込みなのだ。ところが失敗と考えたほうの、3割の中にたまたま後に続きそうなものがあったりする。絵を描くのはこうして失敗ばかりしているのだから、藁をもつかむ気持ちであらゆることを考えることになる。一番のルーティーンは車の中から描くというやつではなかろうか。車の中が落ち着くのだ。ルーティーンで一番極端なのが、座禅である。好き勝手にやればいいわけだが、それこそすべての動作が決まっている。その決まりきった形を忘れて行わなければならない。意識しないでやっているのだが、すべてが手順に従っているという状態。そうでないとこどこか座禅の心に入るわずらいになるのだろう。これこそ1000回座って1000回だめだからできた手順なのであろう。行き着くところが難しければ難しいほど、ルーティーンを決める必要が出て来る。

それでいていったん座れば後は心の自由の世界である。多分絵を描くというのもよく似ていて、えがきだせば、まったくの自由でなければならない。それこそわずかなルーティーンがあってもいけない。前良かったやり方など思い出すようではだめだ。そこにしがみつけば必ず衰える。それを発見した時より、手馴れてしまう。2番煎じになる。否定の挑戦。自由に至るための、手順の決まり。どうでもいいところは徹底してルーティーン化したい。

 

 

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