大豆に雨が降った

   

最初に発芽した大豆。

大豆の種を8日に蒔いた。梅雨時というのに雨が降らない。去年も降らなかった。もう梅雨時の概念を変えなければ。大豆畑はからからに乾いていた。そして5日目の昨日やっと雨が降ってくれた。有難いことだ。大豆は待っていたかのように顔を出し始めた。明るくなるのが待ち兼ねる。昨夜、見た時は大豆が浮き上がってしまったようなところが沢山あった。あれで大丈夫なのかと思ったのだが、今朝どうなっているのかが楽しみである。苗箱の方は完全に発芽が揃った。今日覆いを取ろうと思う。ハトは来ていない。ハトは気づいていないのだ。家の畑は昨年は3分の2をハトに食べられた。双葉のころ食べていた。豆は3粒蒔く。「一粒は空に、一粒は地に、一粒は自分に。」それとも、「一粒は鳥に、一粒は虫に、一粒は自分に。」だったかな。3粒蒔いて、間引いて良い苗だけ使えということが実践方法。しかし、鳥にも天にもやらないし、間引いたこともない。2粒蒔いて、出てくれば両方育てる。

この場所は3日目に出てきたのだが、土が湿っていた場所。

ハトは一粒で我慢など絶対にしない。食べつくすまで食べる。その翌年からは種まきの頃になると早く蒔けというように見ている。電柱の上にそれとなく止まっている。じぃーと種まきの様子を見ている。待ちきれない様に待っている。人が帰ればすぐに降りて来て食べ始める。もうそうなると貪欲で追っ払っても追っ払ってもダメだ。そうやって全滅させられたことがある。西大井の畑では直播ではなく、苗にして植えるようにしていた。大豆の種を100粒づつ配り、苗にして持ち寄って植えるというやり方だ。これも話としては美しい方法なのだが、苗が出来ない人がいる。その人の分も作って置くしかなかった。毎年新しい初めての人が参加するとなると、良い苗ばかりとはいかない状況になる。大豆の会に苗がないから参加しないでいいとは言えない。私は良い苗で栽培した意欲がある。美しい話というのは、なかなか実践が難しいものだ。

 

A.Bの畑上も下も田んぼだ。

そこでみんなで苗を作るようになった。セルトレーにみんなで種を蒔いて育てた。これは上手く行った。ダイズの水やりは案外に難しい。水をやり過ぎてダメにしがちだ。セルトレーでやり始めてから、根を切って差し芽のような方法を行った。収量が上がるというのだ。何度か挑戦したがこれはダメだった。株が肥料を吸収しようという時に、化学肥料のようなタイミングよく肥料が利かないと効果がないようだった。大豆は結構難しい。成功すれば400キロ失敗すれば100キロというような作物だ。大豆は畑を選ぶ。土壌水分にもうるさい。発芽の頃と花の頃だけ水をくれというのだ。肥料はあるのもダメ。ないのもダメ。どうもよくつかめない。化学肥料だと必要なタイミングでやれるのだろうが、自然農法だとどうしても豆は無肥料になる。ところが無肥料ではそれほどは取れない。欲張れば葉ばかり山になるし、困りものだ。

朝露の田んぼ 朝日に輝いているのだが、写真には写っていない。

今年の大豆は田んぼの上と下でやることにした。田んぼには何度でも行くし、田んぼで絵を描いている。大豆も十分に観察できる。大豆のことが少しは分かるかもしれない。田んぼの畔にも蒔いてみた。今朝も明るくなったら田んぼと畑をぐるりと回るつもりだ。見る喜びというものがある。種が芽生える姿ほどわくわくするものはない。見て何がうれしいのかと言われると困るのだが、発芽して変わってゆく姿を予測して確認する。そして最善の道を日々選択する。自然は分かることなど極めてすくない。予想は外されることばかりだ。それでもやり尽くすことは出来る。人為を尽くすことは出来る。それがやりがいというものではないだろうか。幸い、良い仲間がいる。一人ではできないこともみんなでやり尽くすことができる。そして天命を待つ。天は雨を降らせてくれた。雨を眺めながらあの大豆の種を蒔いてくれた、4歳の子供のことを思った。天は雨を降らさないはずがない。

 

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