茶番劇化した軽減税率
結論の出ている軽減税率の事をテレビで、30回以上ニュースで見せられた。最後には臨時ニュースが流れた。軽減税率は公明党に対する、自民党の安保法案の見返りなのだ。当然のことをなぜ、これほどニュースで流すかと言えば、与党に対する報道機関の旗振りである。いかにも軽減税率が重要であるかを報道していれば、正義の味方の格好も付く。そもそも消費税の引き上げに一部の食品を加えないというだけのことで、消費税引き上げの方を報道するならまだしも、軽減税率だけに問題を矮小化しているのだ。もう少し本質を見極めた報道機関がなければだめだ。何度も書いたことだが、消費税はやむ得ないと考えている。それほど日本の財政が危機的状況だと考えるからだ。問題は法人税の下げだ。これからの日本の状況は税金がさらに不足してゆくに違いないという状況である。日本は老齢化している。医療費の増大や老人介護費用が破たん寸前の状況である。格差、子供の貧困、生活保護費の増大。個人の家庭なら行き詰まっている、危機的な財政状況である。
安倍政権の発想は大企業に、国際競争力をつけてもらい、世界との経済競争に勝ち抜き、その結果税収の増加が図り、この危機を乗り切ろうという事ではないか。それができるならば、それも一つの解決法ではある。しかし、一向にその兆しは見えない。見えない所か国際競争力はさらに落ちてきている兆候だ。もう一国資本主義は不可能なのだ。世界の経済が絡み合っていて、中国を仮想敵国にしたいとしても、中国の経済危機が日本の経済の衰退につながるのだ。日本では少子高齢化が問題だと主張しているが、それは日本という範囲の問題で、企業経済の活動はグローバル化しているのだから、消費高齢化ではないところで企業活動を行おうというに過ぎない。この、企業が国を超えている問題の整理をしない限り、安倍政権の大企業依存は、韓国の二の舞になるだろう。韓国のいくつかの企業は世界の競争を勝ち抜いたが、韓国国内の所問題は解決どころか深刻化している。
経済がグローバル化するという問題を考えるうえで、江戸時代の鎖国の意味をもう一度考えてみる必要がある。江戸時代の日本は日本一国で安定した社会を作ろうとした。そして、見事に循環型社会を実現したのだ。国家の価値というものを考えた時に、安定した国を実現するというのも、一つの目的であってもいい。競争は必ず敗者が存在する。敗者はその苦境を違う形で爆発させる。西欧の帝国主義の登場さえなければ、日本はまた違った明治時代を迎えていたはずだ。日本は一度は循環型の社会をたしかに実現した。拡大再生産ではなく、有る物の範囲で暮らしを立てることを考えた。確かにその限界はあるのだろう。しかし、競争の行く着く先の限界も同様にある。税金の集め方と、使い方が政治のすべてである。軽減税率の前に、消費税をもっと議論しなければならない。
軽減税率の茶番劇に気を取られてはならない。問題は税制全体がどこに向かうかである。法人の減税は問題にもされずに決まりそうだ。法人は復興特別税さえ免除されている。大企業では給与が上がるそうだ。当然可能ななことだろう。企業は内部留保をますます大きくしている。ますます格差が広がるという、経済状況でなぜ法人税を減税するのはおかしいことだ。使い方の方では、恐ろしい公共事業の手抜き工事が横行し始めている。橋脚のかなりの数が、手抜き工事によって落下の恐れがある事態だそうだ。日本人の水準の低下が始まっているのである。良い仕事をするというのではなく、その場限りに上手く利益を上げるという事が、企業の目的になっている。儲けるために偽装するようなモラルの欠如が、日本人の普通のことになってきている。倫理のようなもので、コントロールされてきた日本が終わろうとしている。政治も、報道も茶番劇に踊り、今何が重要であるのかという事を見失っている。