土の耕し方
土壌を把握し、土壌の永続性を担保する農法でなければならない。土はやたら耕してはならないものだ。土を豊かにして行く農法を続けなければ、土壌は単純化し豊かさを失う。土壌は多様であり、複雑であることが大切である。その第一が腐植の多さと多様さである。土壌には空隙があり、酸素が十分に流れ、水分が通る構造でなければならない。土中には足跡一つの面積に、数兆個の命が存在する。目に見える生き物だけでも、数10は必ず存在する。良い土壌とは、生き物の種類が豊富だという事だ。すべてのものは、これらの微生物の力によって循環させられている。上部の植物が草原であったり、森であったり、土壌をはぐくむ環境というものがある。農業を行うという事は、この土壌の何千年における調和的世界をかく乱するものである。土壌が攪乱されることは、土壌生物にとっては大きな打撃になる。それをいかに、最小限にとどめてゆくかが、農法を考えるうえで大切な観点になる。
食糧の自給をするとなれば、何らかの形で地面とかかわることになる。自然の状態は様々で、林もあれば、草原もある。もしそこが林であれば、一定の範囲で気を片付けるところからになるだろう。一番の目的は日照の確保である。作物が生育する条件は、日照と、水、が基本である。水の方は雨が降るという事でたいていの場合は足りる。しかし光の確保は、作物に必要な量の日が当たるように、周辺の環境確保するという事が、不可欠になる。木を伐り倒す。枝を取り除く。そして次の段階で木の根をどうするかである。機械を使うのであれば、引き抜いてしまうという事も可能である。引き抜かないで、枯れてなくなるというのを待つという事もある。太さが30センチ以上のスギ林を畑にしたので、根が至る所にあるままで耕作を始めた。根が畑からなくなるには、5年かかったが、そのままにして置いたがいつのまにか朽ち果てた、慌てなければなくなる。
木の根の間に、種を蒔いた。しかし、作物はろくにできない。土壌に肥料分がないからである。百年杉林だった場所では、作物のできる土壌になっていない。日照の不足が、土壌の豊かさを奪っていた。土壌は単純化している。微生物の数も少ない。但し持ち出すものはないのだから、良い方向に転換できるはずである。まず日を当てること。そして、杉の落ち葉の層を分解すること。そこで、堆肥を入れることにした。堆肥を作るのは鶏小屋の床だ。鶏を100羽飼えば1反の畑の堆肥が作れる。窒素分が加われば、杉の葉も分解してゆく。農業を行うという事は、作物を持ち出すことになる。植物が光合成によって、でんぷんを作るとしても、農業を行うという事は光合成における生産量以上に持ち出すことになる。1反の畑で、植物が光合成により熱帯湿原が一番多く、1㎡あたり4キロとされる。日本の草地で1㎡2キロとされる。
日本の田んぼでも1㎡で2キロの生産物が年間であると考えていいである。。裏表を考えると、1トンの収穫のコメや麦を持ち出すという事になる。植物体の量、藁を考えた時に、もし藁まで持ち出すとすれば、これでなにも入れなければ、土壌が疲弊してゆく結果の計算になる。植物は炭酸ガスと水を原料として、光合成によって炭水化物を生産する。生産物には炭水化物以外のものを大量に含んでいる。農業を行うという事は、これを持ち出してゆくという事だから、必ず戻さなければならない。人糞の肥料化が本来であろう。山奥で自給生活を目指すのであれば、人糞は無駄には出来ない。人糞を循環させるシステムを考える必要がある。これは有害な人糞を生産しないという事にもなる。私の今の暮らしでは、合併浄化槽からの水の利用を試みているのだが、まだうまくゆかない。