水彩人展の準備完了
水彩人展の準備が予定を遅れながらも、何とかたどり着いた。明日、いよいよ展示作業になる。絵を見てもらうには、絵の並べ方はとても大事なことになる。都美術館の水彩人展は7つの部屋に分かれている。202点の作品を7つの部屋への一応振り分けまで終わっている。水彩人では基本的に一段掛けを行ってきた。今の公募展は大体に2段掛けである。さらに3段掛けの団体もある。こういう状態は絵を見てもらうという状態ではない。絵を飾る場所が、限定されているから、どうしてもこういうことが起こる。しかしこれは絵のグループとして、観客に絵を見ていただくという態度ではないと思う。見せてやるというような姿勢に私には思える。1枚、1枚の絵を大切にしているとは思えない。ゆっくりとした環境で、絵を楽しんでもらいたいというのが、一枚の絵を大切にする姿勢だと思う。まして、大勢の絵が混在するのだから、3段掛けの上の方に置かれた人のことを考えると、悲しくなる。
水彩人ではその代わり、展示できない人の絵がたくさんでてしまった。今回は応募された人の4人に一人の人の絵が展示できなかった。その人たちには本当に申し訳ないことである。絵の方向が少し違ったわけだ。一人一人にその理由を書いたものを手紙で書いて送っている。では私たちの目指す絵の方向はどこにあるか。それはやはり絵を観て頂くしかない。水彩人の絵は、水彩人に展示されている全体でその方向は見えると思う。今回が17回目の展覧会であるが、年々その目指す方角ははっきりしてきたと思う。水彩画の研究会の発表ということなのだろう。このような絵ですというのではなく、こんな形で研究をしています。その研究の過程の今の段階の結論を、これが水彩人の水彩画だ。とそれぞれの今の段階の結論を示しているのだと思う。同人が17名、会員が29名。そして応募された124名のうち88名の入選展示。それらの絵全体が水彩人の現時点での方角。
水彩人の水彩画は、同人17名もそれぞれである。ただ、水彩画というもが自分の表現にとてもふさわしい方法であると考えて、下書きでも、スケッチでもなく、制作として水彩画に取り組んでいるものたちである。なぜ水彩画が自分の表現に向いていると考えたのかもそれぞれではあるのだろうが、共通していうのは、水彩画の持つ素朴な表現法でありながら、それぞれの肉声に反応してくれやすい材料と感じているのではないかと思う。私の場合であれば、自分の今の暮らしを通して見えている世界を表現しやすい材料ということになる。画材の中では最も素朴な材料である。紙と水彩絵の具という、小学生でも描ける材料でありながら、どのような表現も可能な実に奥行きのある変幻自在な材料なのだと思う。そのために、私絵画には実に都合のよい材料なのだと思う。今回の出品作もいつもと変わらないのだろうが、自分の見ている世界にどこまで近づけているかである。
展示の準備作業は、20日から4日間で行った。目一杯であった。このあと25日(金)の午前中に展示作業を行い、午後2時からの開展を迎える。展示作業は各部屋に展示の担当が5名程度振り分けられていて、その担当が22日にすべての絵を見ながら、自分の部屋に飾る絵を選択した。今、それらの絵をもとにどのように飾るかを構想していることだろう。どの部屋が良い展示になるのか楽しみである。私の絵は確か、5室に展示される。どのように見えるのか、展示されるのが楽しみである。家にある時とはまた違って見える。人の絵と並ぶということが、絵を改めて見直す機会になる。自分のこの一年の仕事がどんなものであるか。この後の制作に何か得るものがあればと思う。後は多くの方に来ていただき、見てもらえればありがたい。幸いというか、東京都美術館ではモネ展が同時開催されている。