書店の減少

   

新刊本の本屋さんが減少している。新刊本の数が膨大で大きな本屋さんでなければ置くことができない。。インターネットはいくらでも本を並べられる。店舗で販売を充実して行うには、一定の規模が必要になる。地方の小さな本屋さんで、新刊本を並べることは相当に困難になっている。現代の社会のように、多種多様な書物が出版されている中で、地方の小さな本屋さんとしては、新刊本を読者の興味に即してそろえると言う事が難しい。行っても面白い本がない事が続けば、本屋さんに行く回数が減る。一方にブックオフの様な新しいタイプの古本屋さんは増えている。本の傾向としては、売れ筋に納得ゆかない所はある。図書館も昔より充実しているから、本屋さんで本を購入すると言う事は、どの角度からも減っている感じだ。勿論一番大きな要素は、インターネットである。古本でも、新刊本でも、一番探しやすい。何しろ、私のおじいさんの大正時代の歌集と言う物が売られていたほどだ。そんな本があることすら知らなかった。

インターネットの本屋さんがこれからの書籍販売の中心になるのだと思う。便利だし、充実しているし、町の本屋さんが無くなるのは、必然ではないかと思う。小さな町の本屋さんは教科書販売と言う事で、それなりの利益を上げており、なんとか経営していると聞いたことがある。地方の過疎社会文化機能としても必要な物だという主張を読んだ事がある。しかし、本屋さんから教科書を買わなければならないという事もないし、教科書販売が町の本屋さんとの対面でないからと言って、何か困る事があるとも思えない。と言いながらも、本屋さんが無くなる事と、地方の活字文化の衰退と言う事が、関連ずけられて言われる事がある。本屋さんのあの雰囲気である。私が本好きになったのは、2つある。本が欲しいと言えば、かなりの無理をしても買ってもらえた。その無理を子供の私は気付かなかった。母親に申し訳なかったと思う。もう一つは、宇治川さんという方が、家に来るときには、必ず本を持って来てくれたのだ。

この宇治川さんという方は、13人兄弟の長男で、とても苦労された方と聞いた。優しくて人間的に実に立派な方だった。一番下の弟が、死んだときに、殺したのではないかと言われて本当につらかったと言われて、涙を流したことがあった。私の父を支えてくれていた様な方だったのだと思う。宇治川さんはメリヤス工場というものをやっていた。渋谷から都電に乗ったような記憶がある。蒲田の方ではないかと思う。小さな機械編みの機械が並んでいて、注文のセーターなどを編んでいた。父はその頃毛糸を販売していたので、注文があると宇治川さんの所へ届けるのだ。出来たセーターを宇治川さんが届けてくれるときがある。そのときには必ず、本を持って来てくれるのだ。本を選ぶことはできないので、多分蒲田の駅前の本屋さんで歳を言って、選んでもらうのだと言われた。私たち兄弟にとってはいただいた本が宝物で、それで本好きになった。

本屋さんの雰囲気というものがある。子供の私には全く別世界だった。今日は誕生日だから本を1冊買ってきていいよと言われて、兄弟で本屋さんに走った。本屋さんには後で、親がお金を払いに行ってくれたのだ。本屋さんの隅から隅まで、何時間もかけて本を選んだ。そして大抵は、動物の本を選んだものだ。あんなに真剣に本と対面した事はない。図書館などというものがあることも知らなかった。小学校に図書室というものはあったが、本の数も少なく、読みたい様なものもなかった。本の有る世界。家でも本を並べ直すのが好きだった。今もそうだが、いつか読む予定の本が飾られている。目が悪くなってきて心配なのだが、その内読むべき本があると言う事が、どこか幸せな感じである。本を読む習慣。これは親が本を読んでいたからである。あんなに忙しい中、本好きの両親であった。家族で読書感想大会を良くやっていた。本好きになる事は、世界を広げてくれる。そして好きなことを発見できる。

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