ブログを続けること
認められたいという気持ちがある。人からの評価に影響されないように生きてきたいと思いながらも、消えないものがある。そこから離れるということが禅の修行なのだと思ってきた。認められたいという気持ちが、自分らしく、自分を深めて生きるためには邪魔になる。認められたいという気持ちがどこかにあるので、あれこれ生き方に影響されてきたのかと思う。それはこの歳になっても、注意しないと間違う問題点のような所である。このブログを書いているのも、認められたいからという側面がある。公開することにはそのような側面が伴う。公開しないでも、続けられるものであったかと言えば、確かに怪しい所がないとは言えないが。ブログを始めるより15年ほど前に山北に開墾生活を始めて、日誌は書き続けていた。その意味ではその後作業日誌が、公開日誌に変わったという事になる。開墾日誌は日々のメモで、必要に迫られてつけていた。
記録する事は非公開でも続けてはいた。しかし、内容はだいぶ変わったはずだ。その内容の変化の中に、人に伝えたいという要素が出てきたという事になる。絵画制作と開墾生活を書きとめ始めたのは、自分の今から行う経験を残しておく価値があると思っていたからだ。機械を使わない開墾生活を行う中で、絵を描くということ。養鶏をやっていて、一番知りたかったのは江戸時代の鶏のことである。なぜあれほど美しい鶏を作り出せたのか。この記録が残っていない。わずかあるようだが、全体が分からない。秘伝の技術という側面もあったのだろうが、すごい技術が消えてしまったという事に、空しさというか、悲しみを感じた。多分明治の西洋的近代的技術というものが、江戸時代の鶏を飼う技術を、つまらない、価値の無いものと見なしたのではないか。同時に、古い技術の保持者自身がその技術の価値を意識出来なかったのではないかと思われる。ありきたりの人に伝えるほどのものでない技術。所が、今になってみると、そのささやかと思われた、古い知識こそ、近代的な技術の限界を乗り越える、深い知識を秘めているという事になる。
だから、普通の人間の日誌も、集積してみれば次の時代には意味を持つのかもしれない。このような意識は公開日誌にして、考えるようになったことだ。無数の普通の人の生活記録こそ意味がある。柳田民俗学の考え方だ。本を作るときに本は1万部売れなければ、採算が合わないと言われた。ブログは無料でこのように続けることが出来る。認められたいと言う事が、ふつうのくらしの記録をゆがめるてはならないと考えた。評価されたいと言う事をどのように封ずるかである。認められたいと思うと、本当の役立つ日誌にはならない不安があるからだ。なぜ、いつ田んぼにソバカスを撒くのかなど、いかにも効果があるかのように書いた所で、無駄なことだ。自分の思考の助けに書くには、むしろ上手く行かないことを書くことも重要になる。田んぼは多様である。行う人も多様である。その組み合わせで、何が起こるのかが見えてくるのではないか。
絵を描くと言う事も、同じことなのではないか。ゴッホは自らを「価値ある絵を描く人間」と自覚できる事で、自分の人間の価値を確認したかったのだと思う。 絵が評価されなかったために、それが出来ないと感じた時に終わったのだろう。良い絵を描くと言う事で、認められるという事はどういう事なのだろう。現代であれば商品としての価値が、絵画の価値である。商品に向かないものは、絵ではないという事になる。ゴッホも売れないということへの受け止め方に失敗をした。社会が絵という物の位置を見失いかけている。絵画は商品価値だけで存在している。しかし、その背景にあるいわゆる、個人の趣味として描かれる膨大の量の絵画。それは商品絵画の数万倍の量であろう。私はその趣味の絵画の方に焦点を当てるべきだと考えている。それに私絵画と言う言葉を当てた。その膨大な数の承認を必要しない絵画の方が、人間の本質に向かう可能性が高いという考えである。