自民党が報道2社を呼びつける。
自民党の情報通信戦略調査会が、テレビ朝日とNHKを呼ぶのだそうだ。全くとんでもない話だ。政権党と方向機関の関係を考えた時に、越えてはならない一線である。勿論今までにも表に見えない形で圧力はかけてきた事だろう。それがいよいよ、表だって、いわゆるパフォーマンス的に行う、報道に対する圧力行為である。報道が何でもして良い等とは思わない。他所の国の女性大統領に対して、スキャンダルな報道をするなど、まともな報道機関が行う事ではないと思っている。しかし、その3流報道機関の記者を、逮捕し裁判にかけて、国外から出さないなどという状態は、民主主義国家とは言えない。民主主義は辛いものである。お互い我慢が肝心である。言いたい放題で有れば、確かに不愉快に違いない。それでも、政権という権力に対して、批判的視点から監視を続けて行く事が、民主主義国家の報道というものである。
今回自民党が呼びつけたと言うだけで、何も法律に触れる事はない。しかし、最近報道の体制翼賛化と呼ばれる傾向が指摘されている。それは日本が近隣諸国に比べ、遅れをとり始めている焦りなのだと思う。近隣諸国は、民主主義を軽んじて、経済一辺倒で日本との競争に、一定の勝利を得た。そんな事は一時の事で、日本の価値というものは何も変わってはいない。所が、この事は歴史的に見れば、初めてといった事態かもしれない。ある意味孤立し独立してその尊厳を保ち、又その尊厳に相応しい世界での地位を確保してきた、日本人の誇りを傷つけ、焦りを誘っている。劣っていると考えてきた、近隣諸国の人達が、日本を追い抜いてゆくという状態に、強い焦りが生じている。この事が報道の委縮にも繋がり始めている。日本の相対的な地位の低下は、当たり前のことで、焦るようなことではない。世界全体が豊かになるための過程である。
安倍政権という保守層の一致団結した、最後の挑戦が始まっているように見える。だらしなくなった日本人を何とかしなければならないという気持ちなのだろう。その第一が能力主義の徹底である。頑張れば豊かになれる。同時に頑張らないものは、貧しい事が当然である。こういう競争原理で日本人に発破をかけなければ、日本が衰退するという考えなのだろう。日本の国の方角の問題である。戦後日本人は世界から、エコノミックアニマルと呼ばれた。どう言われようとも、敗戦の困窮から抜け出し、日本という国の誇りを取り戻すためには頑張るしかないと考えてきた。そして、一定の成果を上げた。その経済という日本人のしがみついた価値を、中国が凌駕しようとしている。幾ら中国の問題点や弱点をあげつらった所で、中国は軍事費を増大し、近隣諸国を圧迫し、経済優先の強硬な政策が行われ、みるまに日本を追い越して行った。どうも民主的にやっていたのではダメらしいと、考えたのではないだろうか。
NHKの籾井会長の異常さは際立っている。塚田祐之、吉国浩二の両専務理事。二人は任期が一年残っているが籾井会長から九日に後進に道を譲るよう求められた。全く中庸な人ではない。バランス感覚がない人である。こういう人をあえて、中立公平を標榜してきた、公共放送の会長に据えた安倍政権の狙いである。どれほど批判されようとも、この公共放送的ではない一方にゆがんだ人物を外さない。民主主義を育てる上では、公共放送というものはきわめて重要である。その民主主義を圧力によって、真綿首で絞めつけようと言うのが自民党のやり口である。テレ朝に関しては、さんざん圧力をかけてきたにもかかわらず、その表面化させないという暗黙の約束を、元官僚が破ったという怒りである。それなら、とことんやるぞと放送免許の許認可まで口に出している。テレビを見るなら、テレビというものは、公明正大ではない、有る色つきであるという前提で疑って見る他ない。辛いことだが、この国は相当に危うくなり始めている気がする。