浪速のエリカ様とウチのマコサマ
「浪速のエリカ様と家のマコサマ」この命名はなかなかなものだ。川柳的に良く出来ている。意味を正確に確認できるか分からないが、一応想像して説明を試みると、エリカ様はしらっとしていて、ふてぶてしいタカビーな美女。ということらしい。浪速がつくのは上西議員を指しているからである。こんな人が何故政治を目指したのかが、全く不思議である。目立てば政治家でもいいという事なのだろう。美女で有れば後はどうでもいいという基準なのであろう。政治家の美女基準は少し低いという事だが、好かれないキャラが、いわゆる立っている、という事になる。このまま押し切ればそれはそれで、居場所がある政界と芸能の世界。家のマコサマの方は皇室の尊き方が語源ではあろうが、失礼な意味ではなく、愛されるカマトトの我が家の奥さん。という事らしい。庶民であるのにやんごとなき人であるかの様に世間を知らずのものすごさを意味する。どちらも言葉というものの力を感じる。つい安倍氏や、菅氏が使う『粛々』も怖い言葉だろう。両人の口癖言葉に、粛々が存在すると言う政治の世界が怖い。
大体に維新の党の橋下元代表はイケ面弁護士タレントだった。こういう人物がもてはやされるのが、最近の政治の世界である。そのセンスで浪速のエリカ様を維新の党の候補者に選んだのではなかったか。それを忘れたかのように、人間性を問題視している姿に、滑稽な因果を感ずる。政治をこんな田舎芝居の世界にしてしまったのは、誰だったのかとお返ししたい。大阪都構想も、行政改革も、脚本がお粗末だ。本当にやりたい事なのかが分からない。テレビのタレント発言ならそれでいいのだが、維新の党の本当の目的は有るのかないのか、今は良く分からない。政治を興味のないものにした一つの原因の様な気がする。今回の地方選挙は過去最低の投票率であった。50%を割っている。後半戦も多分相当悪いだろう。50%を割ったら大阪都の住民投票は不成立なのだろう。そういうルールを作ってもらいたい。議員は当選でいいけれどB級だというレッテルを張って欲しい。何しろ、小田原の県会議員選挙は無投票だった。反対の表明すらできないという事はさみしいものだ。
2人の保守系候補が当選したのだが、野党系が立候補する人がいない。どうせ県会議員は何をやっているのかわからない。あの、大泣きでごまかそうとした、何処かの温泉に視察に通った議員が関の山である。どうも小田原の候補は「未病を治す」というのが主張の様だった。内容を考えて見れば悪くはないが、浪速のエリカ様に比べたら、月とすっぽんの言葉の使い方である。言葉が難解すぎる。未病などという言葉は一般化していないし、病気でないなら、直し様がないだろうと言うのが普通ではないか。こんなややこしい言葉を使うのが、黒岩知事というのもおかしい。黒岩さんはテレビアナウンサーだったはずだ。良く分からないが、テレビの世界の人が、何故、未病を治すなどというややこしい言葉を使うのか、知事になって難しい言葉を使ってみたくなったのか。県会議員選挙は止めてしまったらどうだろう。何も困らない。行政のチェック機能は各市町村議員が交代でやればいい。
政策選挙にしなければならない。インターネット選挙にしなければならない。小選挙区制をやめなければならない。すべて現与党には不利になるから、間違いなくやらないだろう。こうして、選挙への関心がさらに薄れてゆく。このままでは団塊の世代が消える、後20年でこの国の選挙が形骸化し、政治はさらにひどい状態になるに違いない。地方議員は無投票ならともかく、立候補する議員が足りなくなる時が来る。もう既に、地域によっては候補者探しで苦労しているらしい。小田原の市会議員選挙では定年後の再就職先として考えてくれている人がいると聞いた。良い事とも思われないが、居ないよりましだろう。無投票選挙というものは初めて経験したが、空しいものである。共産党は何故、県会議員に立候補しなかったのだろう。そういう所が共産党の価値だと思うのだが。