ネット選挙運動始まる

   

ネット選挙運動の解禁、有難いことである。これで候補者の考えを深く知ることが出来る。ネット選挙運動が本格化すれば、ネット利用と当選の関係が明らかになる。日常的にホームページを持たない人は当選しにくくなると予想される。ホームページの様子を見ていれば、その人の議員活動はだいたいに分かる。ホームページは苦手だと言う議員もいるだろう。そういう人は、人に伝えると言う能力に欠けている。あるいは、何も伝える材料が無いということかもしれない。いずれにしても、議員の本当の姿が見えやすくなる。小田原では加藤市長はブログでの発信を続けている。加藤市長と言う人がどういう人なのか、やっとこれでわかったようなものだ。市長になる前の加藤さんとは、同じ農の会を運営していたのだから、それなりに直接の付き合いはあった。しかし、良く理解していたとはいえなかった。そういう事が、ブログを読んで理解できた。ブログで表現されて居る人間像の方が、政治家としての意味合いは明確に表われている。常日頃の態度での判断は、政治家と言うよりお隣さんとしてである。

政治家の意味合いは、考え方や行動である。ご近所の方には、私が日々やっている活動は分からないだろう。このブログを読んで頂いた人の方が、分かってもらえる。ブログは苦手だが、ツイッタ―ならと言う人もいるだろう。フェイスブックと言うのもある。いずれにしても不特定多数の人に政治家は自分の姿を見せるべきだ。自分の考え方を表明すべきだ。むしろ書かない内容、触れない内容でその人が見える事もある。加藤市長が小田原の中学の問題に沈黙している。橋下氏とは大違いである。何故教育団体の職員だった人が、この問題に触れないのか。彼の所属した団体の代表が教育長だからと私には見える。下種の勘繰りかもしれないが、この重大事に対して、触れないという事がその人のあり方を示している。つまり、ネットと云うものは、その人間をあからさまにする。どれだけ装っていても、10年も書いて居ればインチキも含めて見えてしまう。

さて誰が有利になるか。そういう請負のプロが登場するだろう。電通方式のように、良い印象の商品に見える幻想作りが始まるだろう。しかし、そうは問屋が降ろさない。ごまかしなど、ネットでは続くはずがない。これがネットの良い所だと私は思っている。誰かの請負なら、それ相応のものしかできない。国会議員のホームページをあれこれネットサ―フィンしてみると、なかなか面白い。何といっても河野太郎氏のものは優れている。意見や判断の正しと言う意味ではない。その分析能力や、調査能力が注目に値する。例えば、市会議員の方でも、小田原の学校問題を書かれた人はいる。しかし、現場に足を運び、調査をして、事態の本質まで調べた人はいない。教員出身の市会議員の人が何故、この問題を書かないのか不思議である。危う木には近寄らず方式では、これからの議員は通用しなくなる。と言う発端に、ネット選挙運動解禁が成って欲しい。

そして次はネット選挙、ネット投票である。ネットと言う物の宿命として、2重投票や、なり済まし投票が横行する可能性がある。しかし、ここまで投票率が下がり、選挙離れが起きている以上。何処かでネット選挙を取り入れる以外ない。これは民主主義の新局面でもある。必ずそういう時代が来る以上、大いに研究すべきだ。早くこれを成功させた国が、良い国になる。不正を防止するシステムの研究に入るべきだ。直接民主主義と言う原点に立ち戻る可能性も出てくる。重要案件においては、国民全体の判断を仰ぐ。例えば、国防軍の問題も、国民投票まで進んでも30%程度の投票率になる可能性が現状では高い。それで決まってしまいかねない。政治離れがどんどん起きる。そうなると、政府の独善が深まる。こんな形の国民からの遊離はこの国を滅ぼす。形式的民主主義を悪用した利権政治である。ネット選挙までゆかなければならない。

 - Peace Cafe