レスリングとオリンピック
古代オリンピックからの伝統競技が外れることになりそうだ。商業主義オリンピックの姿が浮かび上がる。日本が強いものはどうも、ヨーロッパが弱い。ヨーロッパが弱いものはオリンピックからなくなる。オリンピックはヨーロッパのものなのだろう。ヨーロッパが弱いという事はやる人が少ないという事なのだろう。ヨーロッパ諸国は人間力が弱まり、肌を触れ合うレスリングが、肌に合わないらしい。今回のレスリングはずしは経済のことからきている。テレビの放映権、入場券の販売状況。ロンドンオリンピックの結果判断ということだろう。あの空席の意味が良く分からないオリンピックだった。オリンピックから外されると恐れていたテコンドウでは、観客動員をやっていたと思う。イギリスの妙な状況が反映している。野球やソフトボールもなくなったが、まさか古代オリンピックからの伝統的競技が無くなるとは予測できなかった。
グレコローマンスタイルという名称が泣いているだろう。オリンピックを見ていると、世界の事に気づかされる。一番でなければいけないと主張しても、一番になるのは一人であるという事を突き付けられる。一番とは何か。本来のスポーツと、オリンピックは違うと言う事を理解する必要があるようだ。レスリングが無くなるとすれば、日本の世界に対する交渉力は相当に弱い事が分かる。テコンドーや近代5種競技がオリンピック種目として、立派に存在していることを考えてみるべきだ。オリンピックから外れたので止めるなどと言う事なら、最初からやらない方がいい。レスリングが好きならやればいい。それだけのことのはずだ。オリンピックでは男女差のあるスポーツは外してゆこうとしているようだ。格闘技をやる女性が少数派で当たり前ではないか。男女差を無くすことが出来ないスポーツはいずれ外れてゆく運命のようだ。
近代5種競技の内容を知っている人はいるだろうか。こんなものはオリンピックが取り上げるべき競技ではない。軍人のスポーツだ。5種目あげられる人はめったにいないはずだ。今は4種目しかやっていない事を知った。競技人口はレスリングの何十分の1だ。スポーツがオリンピックだけに傾斜していることがおかしい。IOCの委員で協議をして決めているそうだが、何故、参加国全体で公平に種目を決めないのか。15名の選ばれた人の判断では偏って当たり前である。IOCの理事の国が金メダルを取る可能性が高い競技が残る。それに加えてロビー活動。アメリカと日本で盛んなスポーツは好まれない傾向がある。両国とも選定委員ではない。これでオリンピックは東京には来ないことが決まったようなものだ。井の中の蛙日本国を痛感する。オリンピック誘致も経済効果ばかりである。経済効果が高いなら、一度やった都市は遠慮する位の気持ちを持た方がいい。
日本人は世界の情勢を知らなすぎる。今回の結果を日本いじめのように受け止める人がいる。ロビー活動の不足を嘆く向きもある。問題の根源はレスリングの除外が、寝耳に水だった点だ。世界の事を知っていれば、こんなことにはならない。補助金の確保だけに頭を使っているうちに、各競技団体が硬直化してしまったのではないか。メダル数を争うのは、ゆがんだ国が目立つ。かつてのロシア、東ドイツ、今は中国。競争で国力を誇示しようという姿は、余り見良いものではない。何故オリンピックだけに視野が狭まったか。テレビ放映の影響が強い。視聴率に動かされている。オリンピック競技でなくなれば、視聴率が取れなくなれば、レスリングの世界選手権を放映しないだろう。柔道は世界のスポーツになったが、武道としての柔道は又別物と云う気がする。他と比べて自己評価をする事を止めると言う事ではないか。競争と言う原理から抜け出なければ、本当の人間の生き方は見つからない。