湯河原:早藤農園
小田原有機の里づくり協議会の研修で、湯河原:早藤農園へ伺い、早藤さんのお話を伺った。早藤さんの先代に当たる方が「黒砂糖・酢農法」葉果面散布で完全無農薬早藤巌 著 農文協発行である。以前からお名前は伺っていたので、一度は行きたいと考えていた。今回協議会の研修と言うことで、お訪ねすることが出来た。しかし、残念なことに農園が見れると考えていたのに、倉庫のような所で話を聞くだけだった。この理由は今もってわからない。見学に行って話だけで終わりなら、本で読めばいいだけの事だ。何故見せてくれないのだろうか。お父さんの巌氏は現在90歳になられたそうだ。黒酢農法の本を読むと、稲作の事も書かれている。稲作は今は止めたそうだ。湯河原で田んぼは見ない。平地はすべて住宅に変わったのではないだろうか。早藤さんの事を伺ったのは、昨年の有機果樹栽培のシンポジュームの席である。九州のみかん農家の方から、小田原なら近くに早藤さんが居るではないかと教えられたのだ。
みかんは小田原では有機栽培は出来ないと考えて来た。何年かに一度ある寒さで、まるで枯れたように痛めつけられる。弱った所にソウカ病が取りつく。ところが、寒い所の方がうまく行くはずだと言うのが、九州の方の意見だった。寒い方が病気が出にくいと言うのだ。信じられないで今もいる。寒い方が病害虫が少ないというのは、一概には言えないと思う。みかんに向いた環境でなければ、自然に従う農業は難しいと考える方が普通だ。小田原で有機農業でみかんを栽培されている人もいる。しかし、納得がいく状態ではない。木の様子がもう一つである。元気を感じない。元気のない樹から良い作物が出来るとは思えない。そう言うこともあって一度は早藤さんのみかんの樹が見たかったのである。しかし、今回お話を伺うだけで肝心のみかんの樹を見ることが出来なかった。実はもう一度湯河原まで身に行った。探したがやはり場所が分からなかった。農業を知るために話だけではどうにもならない。だから、笹村農鶏園では週に一度火曜日は見学日にしている。
後継者となった義則氏は果樹園だけでなく、湯河原の町おこしの方でも活躍されているようだ。朝市を何十年も続けてこられたそうだ。この朝市の話は、実は力石さんから聞いていた。力石さんはその昔、農の会の野菜や私の卵を宅配してくれていた人だ。旬彩ネットワークと言うものをやられていた。田んぼを何年か一緒にやったこともある。義則氏の話は聞いていたことになるのだが、つながらなかった。その意味では、農の会の顧問である石綿利久氏が40年前学んだ人が、早藤さんだった。そう言えば時々、島本酵素農法に最初は取り組んだという話をされていた。早藤農園では島本酵素農法は今はされていないそうだ。島本から購入する資材が、有機基準の承認を得られないということらしい。だから購入資材で基本的な所を依存をすることはまずい。
以前とは農法はだいぶ変わったという事だ。堆肥を中心にした農法らしい。堆肥農法であるなら、笹村農鶏園の考えと近い。良い堆肥を作るという事が大事と言われていた。堆肥は毎日魚のあらを20キロ取りに行くと言うから、相当力を入れている。馬糞が手直に入るので毎日。魚のあらも毎日20キロ。おから、米ぬか、樹木チップ、落ち葉、ジュースの絞りかす、摘果したみかんなども活用しながら堆肥をつくる。反当たりで300キロ投入。そう多くは無い。入れ方は、土壌表面へ散布。それなら私のやり方とそうは変わらない。いよいよ堆肥が見たくなった。樹が見たくなった。馬を飼っている所を探せばわかると考えた。早藤さんの家を訪ねる度胸がなかったので、馬の所へ行き堆肥だけでも見せてもらおうと考えた。ところが湯河原で馬を飼っている所を探せばすぐわかると思ったのだが、馬を飼っている所が、いくら探しても分からなかった。