ギャンブルにはまる人

   

ギャンブルにのめり込む人の脳は、先天的な特徴がある。まさに私はこれだと思った。京都大の高橋英彦准教授(精神医学)らがこの原因の仕組みを見つけたらしい。ストレスを受けたときに何かの物質が出るらしい。脳内の情報伝達物質を回収してしまう「取り込み口」が多かった。これだけでは何の事だか良く分からないが、多分、素人解釈で言えば、「ドキドキ感に習慣性があり、ギャンブル中毒になるタイプの人は、先天的である。」ということではないか。私自身がはまりやすい人間だという、自覚があるので少し想像できる。そのはまりやすい自分の心理がとても嫌だった。危うきに近づかず、で生きてきた。勝負事が好きだと言うのは、気が付けば子供のころからだった。これが先天的なものだという感じが自分なりに分かる。言ってみれば負けず嫌いの、手に負えない所を持つ人間だ。負けるということがどうでもいいという風に受け流す事が出来なかった。勝負事に勝つコツは、勝つまでやると言う事だそうだから、負けず嫌いというのが、取り込み口が多いい人に近いのか。

ゲームというものと、ギャンブルはほぼ一緒だと思う。依存してしまう何かがある。のめり込めば、中毒症状になる点では同じだ。ゲームに金銭をかけないと面白みが不足すると言う人が居る。将棋でもお金をかけなければやらないと言う人が居る。プロの将棋の棋士はまさにそういう人たちである。わたしの場合お金をかけたらば、絶対にやらなかった。それは、ドキドキでどうにもならなくなりそうで怖かった。同時にお金に絡むことが良くないという倫理観からである。これは、多分親の教育だろう。父親は商売人であったが、お金に対して清教徒のように潔癖症だった。だから、お金をかける人を、すでにのめり込んでしまっている手に負えない人と見ていた。そうなる自分の心理が怖かった。お金が怖いものだという事と、近づかないということできた。

ハマり込んだのが、ピンボールゲーム。やらないと居られなくなった。だんだん上手になって行くことが、面白くて仕方がなくはまりこんだ。サッカーゲームも結構はまった。くるくる棒の先の選手を回して、4人で戦うものだ。わたしの場合テクニックの上達にはまる。剣玉でも、ベイゴマで、メンコでもそうだった。養鶏でも一緒だ。黒チャボを作り出すということにハマった。らんちゅうにもハマった。洋蘭にもハマった。いまは自給生活にはまっている。自給生活が面白いのは、生活がかかっているからだろう。どうすれば、最小の労働力で、最大の収穫を得るか。どうすれば、90日生き続ける卵が作れるか。意味がある、価値がある言うより、そのドキドキにはまり込んでしまう。結局、絵もそうだ。自分が見ているものを、絵にしたい。この事にこだわってしまう。捉われてしまう。どうもこういうことは良いとか悪いとかいうより、のめり込む脳の先天的なものかもしれない。

ギャンブルに破滅する人と、うまくコントロールできる人が居る。実は、円高はどう考えても不自然なことだ。遠からず円安に振れる。こう考えて何度か書いた。書くだけではどうも真実味がないと考えて、外貨を購入してみた。短期間に1割以上の利益を得た。あぶく銭である。ハマるのが恐ろしい。後ろめたいからこれは相馬市の子供支援に充てる。お金というものは、手に負えないものである。農地の価格上昇など、農業者の人生を変えてしまう。土地の値上がりの方が、働くより大きいようでは、生き方が狂ってしまう。お金は無くても困るが、あっても困る。生きて行けるだけ丁度あればいいのだがこれが難しい。父は大学に入る時に、後は自分でやれということだった。その後、何とかここまで生きるだけのお金に困ることはなかった。そう言う時代だったこともある。ギャンブル脳をかろうじてコントロール出来たことが良かったのだろうか。

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