2012年 元旦

   

新しい年がどんな年になるのか、明るい展望が見えません。新年を祝うという気持ちにはなれないことが、残念です。新しい年の始まりなので、心機一転と思いながらも、暗い想念が浮かんでしまいます。残念です。避難した地域で新年を迎えている皆さんへと、思いを繋がりたい。2012年、何としても前向きに生きていたので、個人的な希望を考えてみたい。1949年生まれです。今年は体力の衰えを感ずるという事もあるのでしょう。このことは悲しいとか残念だということではないです。この年齢を充分に味わいたいと思っています。言葉にすることの難しい部分も絵では伝わると言う事もあるので、年頭に当たり絵を沢山描きました。絵の役割と言うものがそう言うものではないかと、考えています。知り合いの皆さんには送らせてもらいました。希望される人がおられましたら、メールで住所を頂けば送ります。

「笹村農鶏園」の整備ということで、周辺を整理し家の近くにできるだけ、畑をまとめています。最近は、野菜や果物もそこそこできるようになりました。土が良くなれば作物は育つものだと改めて感じています。以前は、巻く量が不足した白菜が、特別肥料を使わないでも普通に出来てきます。土を育むことの実際を、なるほどと実感しています。良い土を子孫に残すということは、昔の農家の方には当たり前のことのようです。農家がご先祖をその故郷の土そのものにみる。子孫が豊かな土地に生きて行く、未来の暮らしを見ることが出来る。これが幸せと言うものだと思います。この時代、家族とか、血族と言うより、未来の日本人に良い土を作り、引き渡す。これがささやかな役割のような気がします。しかし、ささやかと言いながらも大事業です。経済とは別に食糧を自給する形を、推進しなければなりません。久野地域でも、4haは農の会の仲間が畑として使わせてもらっています。この形をさらに進める以外、TPPには対抗できません。

自給するにはそれなりの、一般農家とは違う農業技術が必要です。田植え機でやるより、みんなで手で田植えした方が、楽しいし上手くゆきます。そういう農業技術は、江戸時代では普通の工夫として、蓄積されていたようです。この技術を掘り起こし、実践し確認する。現代の科学技術の目で再構築して行く。例えば、田植えは部落の行事にしてしまった知恵。辛い作業も、お祭りにしてしまえば楽しい。能力差別を越えようと言う地域の暮らしを感じます。そうしたつながりを通して、暮しの工夫が高められていったのだと。自分の工夫を特許を取って、利益を一人占めしようなど出来ない社会の方が、人には優しく幸せだと思う。そうしたささやかな希望を持つ者たちが、集い、緩やかな連携を持ち、助け合う仲間。それを繋ぎ支えるものが農の知恵だと思います。工夫があれば、半分の労力で倍の生産があげられます。今年も引き続き、自給農業の知恵を取りまとめたいと思います。

養鶏は業としては少しづつ引いています。来年か再来年には自給養鶏にします。徐々に縮小します。食糧を生産する、業としての責任が取れるのは、もうしばらくだと感じています。今年も引続いて段ボールコンポストの普及。このことに全力を挙げたい。ここには新しい市民自治の萌芽が存在すると思います。観念ではなく実践こそと考える、実践力ある人たちが集まり始めています。反対運動で集まった環境系の人たちとは、少し違います。この地味な実践力に期待しています。暮しがない人では継続出来ない段ボールコンポストは、暮らしを見つめ直すことにもなります。ごみは有料化しなければなりません。有料化が弱者を追い込まない形は、考慮する必要がありますが。ごみが人類を滅ぼす前に、ごみを暮らしの循環に入れる。循環出来ないごみは作らない。原発ごみはその代表でしょう。何はさておき、前向きな気持ちで暮らす決意で今年を始めます。

 - Peace Cafe