2011年の事
辛い年であった。一番つらいのは、この惨事を十分に認識できない政府を持っていることである。ごまかし通そうとしている政府に対し、何とも出来ないでいることである。この状況は日本が1930年代に戦争に向かって居る事を知りながら、どうにも手が打てなかったことと同じ状況だと思う。あの時代も経済封鎖とか、大東亜共栄圏とか、間違えを正す事が出来ないまま、どこか変だと言う内心をごまかして戦争にひた走りに向かった。原発が事故を今後は起こさないと思い込もうとしている。しかし、世界の今の情勢のままでは忽ち10倍に原発の数が成る。あらゆる国が原発持つことをとどめられない。技術が無い国。自然災害の多発地帯。テロや戦争の頻発する地域。人間は必ず間違う。毎年どこかで大事故が起こることになる。そう想像する方が当たり前である。にもかかわらず、それを見ないようにしている。忘れようとしている人類。この限界が辛い。
これが2011年の現実に起きたことの悲しさである。日本人はこの誤りに向かって、戦後の方向を定めた。福島では暮らしていた土地に戻れない人が10万人以上いる、前代未聞の状況で年を越そうとしている。そして、20ミリシーベルト以下の土地ならば戻れという、怖ろしい政府の方針である。社会的ヤマイ現象である。それは経済の行き詰まり、そして格差社会。価値観を見失なった、前途の見えない社会状況が背景にある。この先自分の暮らしがどうなるかが見えない。農業で言えば、TPPを締結して、農業の構造改革をする。そこまでは良いにしてもどうすれば政府の言う、国際競争力のある農業が出来るのか、誰にもわからない点である。先日も安住財務大臣は農業改革はTPPとは関係なく必要な事だと言いながら、どのように改革するかは、少しも述べることが出来なかった。野田総理も同じだ。改めて、来年度予算の農業対策を考えてみたい。
具体的展望がないのは当然のことで、国際競争力のある農業等あり得ない話だからだ。すでに、工業分野でも労働依存性の高い分野から生産を海外に移している。もっとも労働依存の高い農業を日本の国土にへばり付けたまま、国際競争力が生まれるアイデアなどあろう訳がない。あってもそれは特殊解で、一般化はしない。本音では、農業を止めろということだろう。それも良い。それならごまかさずに、日本を食糧生産のないどういう国にするのかを、政治は表明した上で考える必要がある。やめろとも言わず、競争力のない農業をやっているのは、農業者の努力不足をいい募り、駄目なものが滅ぶのは仕方がないという考えだ。この状況は農業者の迫害と言える。そんな農業分野にはどれほど職場が無くなっても、就業する者が居ない。青年農業就労補助金についても又改めて考えてみたい。
農家の嫁不足が言われたのが、1970年ころからだ。あれから40年経って、嫁さんの方が政府より判断が正しかった事が良く分かる。問題を農家の封建性などとごまかしていたが、農業には未来がなかったという事だ。農業は競争経済から離れるべきだ。食糧の輸出入は特例以外止める。この事を国是にすべきだ。アメリカなどから猛烈な抗議が起こり、むやみな輸出立国も止めなければならなくなる。日本は貧しくなるだろう。その覚悟をしなければ、さらに大きな災いが待っているという事だ。それは戦争に向かった昭和の初期と同じ事だ。経済恐慌から戦争に向かう。世界はこのまま進めば必ず経済恐慌に至る。次の世代に顔向けの出来ない事態を作り出したのは、我々世代の責任である。自分達だけが享楽的にやってしまった付けが回ってきている。さてどうしたらいいのだろうか。この無力の悲しさが、2011年だった。