政治家は嫌われなきゃ

   

愛される政治家の時代ではない。この経済下降の時代の政治家はどれだけ嫌われることでも発言できるかに、真価がかかっている。もろもろの既得権をどうやってはがしてゆくかが、政治家の第一の仕事である。選挙制度が良くないのか、選挙民の意識が問題なのか、報道機関がいけないのか。いずれにしても嫌われたくない政治家ばかりが目立つ。例えば、国家公務員給与の7,8%の賃下げが、予想通り流れた。要するに、政治家の慣れ合いとごまかしの結果である。各党国民向けにごまかしだけを口にする。政府は法案の提出はした。しかし、初めから通そうなど考えていなかった。税に置いては、消費税を含め増税が方向づけられている。お金が決定的に足りないのである。消費税の増税も反対ではない。しかし、出る方を押さえず、入る方だけ増やせば、ますます経済が悪くなるばかりである。福祉事業であろうが、医療であろうが、公務員給与であろうが、あらゆる支出を抑える以外に、日本の財政の立て直しなどない。出るを抑えるために、嫌われるのがこれからの政治家である。

公務員の給与は高すぎる。農業者から見たら雲泥の差がある。これだけの就職難の時代でも、公務員志望は沢山いて、農業者になろうなどと言うものはいない。収入の差に尽きる。農業者になる人間が居ないのでは、世も末である。農業者には金権主義者が少ないのは有難いが。小田原市の職員の平均給与が平成20年度728万4932円と出ている。相当の給与額である。1割ぐらい給与を下げても、暮らしてゆけるだろう。こういうことをきちっと発言する嫌われる議員であって欲しい。もちろん、議員報酬も同じことである。どうせ名誉職と考えているなら、ボランティアで結構。「私はあれもやりました、こんなものを作りました。」こんな議員はもういらない。「あれも止めさせました。こんなものを廃止しました。」こういう方向がこれからの議員である。それは必要なものすら廃止すると言うことである。切られてつらい人がたくさん出るし、医療でも福祉も教育でも切り捨てになる政策である。

少人数学級も止めた方がいい。良い教育になるとは限らないのは、経験者として言い切れる。教師が楽が出来ると言うのはある。この社会状況で、教師だけに今まで以上に楽をさせる必要などない。教員の給与は高い。どこの分野だって、以前より大変になっている。むしろ、40人学級にして浮いた人員を事務職員に回せばいい。教師の管理強化によって、形式重視に成っている。上部にいる者が自分の管理責任が問われるのが厭だから、やたら事務手続きが増加している。報告させていたという証拠づくりが主目的だ。教師が信頼できないから、管理の強化の勤務評定と言うことである。この体制維持に費用がかかる。もし、信頼関係が存在するなら、40人学級で十分である。目が届くようにしたいなら、45人学級に戻して、若く安い臨時採用の補助の教員を付けることである。大学生でもいい。教室に大人が2人いることで、教師に対しても目が届く。

農業で言えば、補助金行政を止める。戸別補償は即廃止する。作らなければ補助金がもらえる。転作すれば補助金がもらえる。こうした形はこの先無理、無駄である。農業改革を本気行うなら、土地所有制度に踏み込んだ、嫌われる政策が必要になる。農地を公共化し、やりたいものがやりたいだけやれるようにすることだ。国有化は確かに問題点がある。公共は必ず新しい仕事を作り、既得権を生み出し、その維持のために無駄に税金が使われる。個人所有ではなく、使うものが使う間だけ所有できる、新しい土地を所有制度を作ること。食糧に自由競争を取り戻すためには、土地と言う基盤は耕作者に等しいものにしなければならない。農地を所有することは誰にも出来ない制度がいい。農地はご先祖からお預かりして、子孫により豊かなものにして引き継ぐものである。子孫は日本人全体であると考えればいい。個別の血族を問題にする社会的背景が無くなっている。

 - Peace Cafe