女性の棋士
将棋の初代女流王座に16歳の高校生、加藤桃子奨励会1級が就いた。将棋のプロには「棋士」と「女流棋士」の2種類があり、まったく別。過去女性では、蛸島さんが特例的に初段になったのみ。一級までが5名。加藤さんは、女性初の棋士を目指している。奨励会は棋士の養成機関で、四段に上がればプロだ。NHKのテレビ小説では、女流棋士がタイトルを取るという関西物があった。ふたりっ子とか言ったと思う。子供の頃は双子の姉妹が演じていて、大きくなると全く似ていない女優が演じていた。余談だがオーロラ何とかと言う演歌歌手が出ていて、あの人は今でも歌って居るのだろうか。くささを売りにしていた。女流棋士である。女流っておかしくないだろうか。競輪でも最近女性のレースで人を呼ぼうと言う、企画があるらしいが。運動能力とこうした頭脳ゲームではどんな関係があるのだろう。
以前、学生将棋をされていた弁護士のKさんとその話をしたら、とても怒っていた。将棋では女性も全く同じだという考えだった。その時の話題は、何故囲碁ではプロ棋士が存在するのに、将棋には居ないのかという話だった。K氏は歴史的な社会状況だけだ。確かに囲碁は女性が打つものとした時代があった。人間の能力と言うものには関係しないと、少し怒って主張していた。性差別を主張していると受け取られたようだった。囲碁では、世界戦でも韓国の女性が4位にまで入っている。日本では謝 依旻さんが台湾出身で日本棋院所属、五段。男性を交えた若鯉戦初代優勝者となる。それこそ女流タイトルは完全制覇。近い将来、タイトル戦に出るのではないかと言われる素材である。ところが将棋では、実力的にかなりの差がある。私は、女性に将棋が広がったとしても、同じ実力にはならないと考えている。それくらい女流の将棋は質が異なる気がしていた。
ところが、今回の加藤桃子さんの将棋は明らかに、なかなかのプロ的な将棋である。2勝2敗で迎えた女流王座戦の最終局において、辛い指し回しが奨励会的で、明らかに対戦相手の清水さんとは質が異なっていた。清水さんこそ女流の第一人者である。加藤さんは中盤の難所で、敵陣深くに歩を2枚垂らした。この手は全く予想できなかったのだが、結局後半間に合ってしまい。安全勝ちになる。8筋を突いてきた歩を今さらというタイミングで取り込む。これもいかにもプロ的である。良い手かどうかは不明だが、こういう勝つための手が指せると言うのが、奨励会でしぶとく戦っている事を彷彿とさせる。この将棋なら、3段リーグまでは行くような気がする。その為には男性棋士との勝負を重視すべきだ。今までも女流の人が男性の強い人に勝つことがある。将棋とはそういうゲームで、思わぬ足払いが決まってしまうことがある。安定的に勝率を上げるためには、そうした特殊技を身につけても駄目。
終盤の詰みまでの読みでは、プロの最高位のレベルにコンピューターが追いついている。こういう終盤の一直線の読みの深さでは、男女差はない。機械が難しいとしているのは、中盤の構想力である。どう終盤の形に持ち込むかである。タイトル戦などではこのあたりで1時間を越える長考を両者が繰り返す。相手の人間を含めた、実に深い読みを行う。多分この読みの世界が、アマチアには触れることのできない深淵のような気がする。将棋を見る楽しみは、この読みを想像することにある。ここはどの手がいいのかと、想像を巡らせていた所、敵の2段目の王と金の間に歩を垂らしたのだ。勝負をこの手が決めた。この手で勝ったのだから良い手であったのだろう。相手が緩手だと思うような手こそ、実は勝負を分ける。「良いぞ、しめた、これなら」と考えて、勝負に出てしまい、敗戦に至る。棋譜を見るだけで楽しめると言うのも不思議なものだ。