官僚の頭でっかち
防衛省の田中聡沖縄防衛局長が、ひどく情けない発言で更迭された。余りの無能さに驚くばかりである。当人反省の色薄く、事態の深刻さに気付かなかったようである。つまらない弁明をして火に油を注いでいた。日本の官僚もここまでレベル低下をきたしているのかと、あきれはてた。自分の役割と言うものを全く気付いていない点である。これは次々と起きている大臣の失言と同質である。防衛大臣の詳細は知らない発言も、今自分がおかれている状況を把握できない。知識はあるのかもしれないが、空気を察知する感性と言うものが欠落している。こうなるのではないかと心配されていた事態がいよいよ現実化し、社会性が無い人間が普通に表れてきた。沖縄は外交の最重要課題であろう。当然そこに任命された責任者は、防衛省内でもっとも困難を乗り切る可能性のある人材であろう。それがこの体たらくである。何か野田政権に恨みでもあって、意識してやったことなのだろうか。と思いたいぐらいだ。
おそらくそうではなく、日本人の生きる感性の劣化現象が現れているに過ぎない。優秀、有能のはき違えである。人間として生きる感性が欠落している。当然のことで暮らしと言うものを持っていない人間の出現。知識を記憶する勉強はしたのだろう。記憶力が良かったのだろう。頭の回転も速いのだろう。しかし、こういう人間には田んぼは出来ない。観察して反応する能力が無い。先日ラジオの人生相談で、なるほどと言う回答を聞いた。学校で子供がいじめられている現場に遭遇した親のあるべき対応である。遠くから、全く状況が分からないような顔をして、おーい、トイレはどっちのほうだい。と気付かぬふりをして呼び寄せる、と言うのである。子供に対する親としての、人間力が問われているのだ。大抵の親はモンスター化して、問題をより悪い方に進める。正義をふりかざし、責任者を責め続ける。子供のことなど忘れて、自分の正義に固執する。トイレの場所を聞いた親は、その後どうするか。子供の問題ではなく、親自身の自分の生き方の問題としてまず考えて見る事。
何故こうした日本人に成ってしまったかと言えば、農業から離れたからである。優秀といわれる官僚に農業をやらせたら、工場農業を考えるだろう。環境を自分の方に変える方を選ぶ。自分を日本の現状に合わせて変えると言うことはできない。自然と言うものは、四季の当たり前の気候を繰り返しながら、想定外のことが起こるものである。後になればそう言う事だと分かるが、思いもよらないことが、日々のなかでも繰り返されている。それを昨日と今日が同じで、明日も似たようなものだと言う整理をするのが、計算内のつまらない自然分析だ。農業は常に新鮮で、日々新たなりと言うところが面白い。何度も打ちのめされて、自然に対し畏敬の念を持ち、自分の方を合わせる以外ないということに気づく。気付かなければ終わりに成る。
素晴らしい日本人が誕生したのは、この多様で予測不能な自然と付き合う中で、たぐいまれな感性を育てられたからである。感じる力。反応する力。受け入れる力。継続する力。手入れを続ける力。工夫する対応力。すべて自然から学んだことである。要するに段ボールコンポストを続けられる力である。そうした暮らしである。植木鉢一つ育てられる力である。それが出来ない官僚ばかりになったということである。繰り返し書くが、田んぼを止めたことが日本人の劣化をきたした原因である。そしてこれからさらに、社会の劣化が深刻化する。田んぼが日本人を作り出した。それは自然とのかかわりと、人間の関係を調整するということである。自然との調整もあれば、周囲の田んぼとの調整もある。そして、集落外との調整も起きる。このことからいやいや学びながら、日本人は日本人になった。
昨日の自給作業:麦踏と機械整備3時間 累計時間:3時間